SSブログ

広重の世界(三) [広重]

(その三)広重のスケッチ集(隅田川之渡)

筑波一.jpg

Album: Miscellaneous Sketches → 隅田川之渡(フリーア美術館蔵
Type Album  → 画譜(スケッチ集)
Maker(s) Artist: Utagawa Hiroshige 歌川広重 (1797-1858)
Historical period(s) Edo period, Mid-eighteenth century
School Ukiyo-e School
Medium Ink and color on paper → 紙本着色
Dimension(s) H x W x D (overall, album closed): 27.8 x 16.8 x 3.8 cm (10 15/16 x 6 5/8 x 1 1/2 in)

筑波二.jpg

広重「名所江戸百景 隅田川水神の森真崎」 (国立国会図書館蔵)

http://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail323.html?keywords=mount-tsukuba

筑波三.jpg

広重「名所江戸百景 墨田河橋場の渡かわら竈」(国立国会図書館蔵)

http://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail302.html?keywords=mount-tsukuba

(メモ)

一 水神の渡し (遠くに「筑波山」が見える)
現在の水神大橋の100 mほど下流にあった真崎稲荷と隅田川神社を結んでいた渡しで、名は隅田川神社が水神を祀っていることによるが、付近の俗称が「水神」でもあったことにもよる。歌川広重が錦絵「隅田川水神の森眞崎」に渡しを描いている。
橋場の渡し

二 橋場の渡し (遠くに「筑波山」が見える)
現在の白鬚橋付近にあった。「白鬚の渡し」とも呼ばれた。歴史的に位置や名称に変遷があったが、記録に残る隅田川の渡しとしては最も古い。律令時代の承和2年(835年)の太政官符に「住田の渡し」[3]と書かれたものが残っている。奥州、総州への古道があり、伊勢物語で主人公が渡ったのもこの渡しとされている。また、源頼朝が挙兵してこの地に入る際に、歴史上隅田川に最初に架橋した「船橋」もこの場所とされ、「橋場」という名が残ったとも伝えられている。橋場は歴史の古い土地柄から江戸時代から風流な場所とされ、大名や豪商の別荘が隅田川河岸に並び、有名な料亭も多かった。明治期に入ってからも屋敷が建ち並んでおり、とりわけ著名な三条実美の別荘である「對鴎荘」が橋場の渡しの西岸にあった。
歌川広重が錦絵「墨田河橋場の渡かわら竈」に描いた。白鬚橋の完成に伴い、大正期に廃止されたといわれる。

タグ:広重

共通テーマ:アート
広重の世界(二)広重の世界(四) ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。