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江戸の狂画・奇想画(その十) [腹筋逢夢石]

その十 山東京伝・歌川豊国らの「蠅・黒鯛」

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『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)・初編』所収「蠅・黒鯛」

「蠅」が二匹集まって話をしている。その会話の一つに、「おらア、昨日、ここの番頭の禿げ頭にとまったら、滑り落ちて大怪我をしたよ。成程、禿げ頭には二度と止まるべけんやとは、飴売り土平先生の金言だ。ここの宿六が二階に昼寝をしているから、目やにをなめようと思えば、貸本で屋根を葺いて、止まらせねえ。大分、饐えた飯の臭いがするぜ。」
「ありゃ、台所に餅がしかけてあるのよ。仲間の奴らがくっっいて、いや、もうみじめだぜ。」

「黒鯛」を、座敷で釣っているのは芸者さん。その前の長い箱は三味線箱とか(?) 釣り糸の先には手拭いを餌にしている。それは「蚯蚓(ミミズク)」らしい。
「こいつは、何でも、岡ミミズクの匂いだな。ここだぞ、ここだぞ。イヤイヤ、うかつにゃ呑まれねえぞ。こいつは何でも針があるんだぞ。よしましょ、よしましょう。とは言うものの、みの匂いはたまらねぇぞ。イヤイヤ、よすがいい、よすがいい。しかし、宝の山に入って、手を空しくするのも野暮だね。先ず、一寸当たって見るべえ。ヘヘエ、こいつは、ぼんくらだね。よしよし、餌を取ってやるべえ。」「南無三宝、ひっかかった。」「つい、つい、ぶる、ぶる、ぶる、ぶる・・・・」

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「四方赤良(よものあから)」政演(山東京伝)画『吾妻曲狂歌文庫(あずまぶりきょうかぶんこ)』より。
歌は、「あなうなぎ いずくの山の いもとせを さかれてのちに 身をこずすとは」
作者の「四方赤良」は、「太田南畝・蜀山人・寝惚先生・四方山人・山手馬鹿人」である。


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江戸の狂画・奇想画(その九) [腹筋逢夢石]

その九 山東京伝・歌川豊国らの「鳶・鴉」

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『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)・初編』所収「鳶・鴉」

 右側が「鴉」、踏み台の上にしゃがんでいる。左側が「鳶」、炬燵櫓の上にしゃがんでいる。
鴉 あれ見やれ、いい娘が通るぜ。あの美しい襟の中へ糞をたれこんでやるべへか
鳶 よせ よせ、悪いことをするな。
(鴉、飛ぼうとする。鳶、これを見て) 
鳶 お主や、何処へ行く。
鴉 おらあ、一寸用がある。あの屋根の漆喰の新しい火の見にとまっているのは、この頃
  来た旅鴉だ。仲間入りしてえと俺に頼んだから、一寸相談して来っぺい。同じ森に寝起きしてい  るから、うっちやっておかれめへ。

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玉子香久女(たまごのかくじょ)政演(山東京伝)画『吾妻曲狂歌文庫』より
歌は「染るやら ちるやら木々は らちもない いかに葉守の 神無月とて」


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江戸の狂画・奇想画(その八) [腹筋逢夢石]

その八 山東京伝・歌川豊国らの「鷺・亀」

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『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)・初編』所収「鷺・亀」

 右側が「鷺」、「此の浅い所で一寸稼ぎましょう。」 あゝ、ぞんぶり、あゝ、ぞんぶり。
「はて、おぞい(のろまの)泥鰌めだ。せめて、だぼ鯊(はぜ)でもしめたいものだが。」
 左側は「亀」、「今日は豪勢にいゝ天気だ。こうまた浮草の花盛りを見ながら、甲羅を干すのは、いゝ心持だ。」「鮒よ、手前大分ひょろつくな。ごみにでも酔ったのか。泥鰌よ、気をつけろ。今、鷺が飛んできたぜへ。」

〇 戯作者・山東京伝は、浮世絵師・北尾政演(まさのぶ)、その人である。その「新美人合自筆鏡」が、「国立国会図書館デジタルコレクション」で公開されている。この絵本は、北尾政演、即ち、山東京伝が、天明四年(一七八四)、二十四歳の春、蔦屋重三郎から出したもので、当時の、浮世絵師・北尾政演が心血を注いだ傑作画である。

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「新美人合自筆鏡」(絵本)の中の一枚


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江戸の狂画・奇想画(その七) [腹筋逢夢石]

その七 山東京伝・歌川豊国らの「蝙蝠・木兎(みみずく)」

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『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)・初編』所収「蝙蝠・木兎」

 右の「蝙蝠」は、鉢巻をして、杓文字を二本差して、蝙蝠の耳の恰好にしている。羽織を翼の恰好にして、「どりゃ、夜食のかせぎに蚊を取ろうか。キチ、キチ」と鳴きながら、飛び歩いている。
 左の「木兎(みみずく)」は、「わしが、赤い頭巾を被ったが、オメエ方は、それほどおかしいか。いくらでも笑いなよ。目界(視界)も見えぬ者を弄ってお手柄だァ」とほざいている。頭の紙袋は、「上まき丁 七小町 かきもち からく製」とあり、落語家の三笑亭可楽が自宅で商売していた「かき餅屋」の紙袋とか。この絵を描いている浮世絵師の歌川豊国と三笑亭可楽は友達とか。このミミズクの物真似をしているのは、落語家の三笑亭可楽なのかも知れない。

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江戸の狂画・奇想画(その六) [腹筋逢夢石]

その六 山東京伝・歌川豊国らの「犬・雀」

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『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)・初編』所収「犬・雀」

 右側の「犬」は、「●黒犬 ▲斑(ぶち)犬 かけ合(あい)」という題が付いている。「掛け合い」というのは、交互に滑稽な会話を応酬し合うことで、「掛け合い漫才」と同意義。
ここでは、「●黒犬」と「▲斑(ぶち)犬」とが、延々と馬鹿話を続けている。

●手前は大分、声が涸れたぜ。▲夕べあんまり遠吠えをして声をやっつけたよ。かっぱ屋の赤めがみえねえが、どうしたなァ。●伊勢へ抜け詣りに行ったとよ。
●手前、初鰹を食ったか。▲ どうして、まだ食うものか。旦那衆せえ食わねえものを。

 というような会話である。

 左側の「雀」は、「皆の衆、あれ見やしゃれ、チョイ」「ばっち婆が転んだそうな、チョイ」「てっきり、米をこぼしたぞ、チョイ」「早く行って拾おうじゃないか、チョイ」と、雀が「チョイ・チョイ」踊りをして、掛け合いをしている。


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江戸の狂画・奇想画(その五) [腹筋逢夢石]

その五 山東京伝・歌川豊国らの「蛙・蝸牛」

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『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)・初編』所収「蛙・蝸牛」

 この「初編」(前編)で人気を博した「かいる(蛙)」周辺の細かい戯文(山東京伝作)の、そのポイントは、「西行と歌を詠んだ江口の君という名高い太夫殿が、窓の格子に出て、『てもしほらしい蛙の声、これを聞くにつけても主(ぬし)さんは、どふしてゐさんすやら、ほんに可愛い蛙じゃのう』」という、この「蛙」と、その「蛙」の面に「手洗(ちょうず)の水」をかける「女将(おかみ)」さんとの会話なのである。
 これが、変じて、古今亭志ん生の落語、「蛙の女郎買い」(別名・蛙の遊び)につながって行く。

[ 昔は浅草から吉原に掛けて大きな田圃がありました。この田圃を突っ切って冷やかしに行ったものです。
<惚れて通えば千里も一里 長い田圃もひとまたぎ>
学校じゃ、あんまり教えないけれど・・・、毎晩冷やかしがゾロゾロ田圃を通り、女の噂を言い合うので、田圃の蛙が覚えてしまい、
「オイどうだい、人間ばかり冷やかしに行くから、蛙仲間もみんなで冷やかしに行こうじゃねえか。殿様、お前は背中に筋があって様子がいいよ。アカも行くか、アオもみんなで行こうぜ、エボ、汚ねえな・・・でも連れてってやろう。人間と同じように後足で立っていくんだ。いいか、はぐれたら踏み潰されちゃうから気ィ付けなよ」と繰り出した。
 ここが吉原だ。綺麗だな。見世に七人の花魁が並んでいるのを見て、
「おう、どれがイイ?」
「俺ァ、上(かみ)から四枚目の女がいいなァ」
「ん~俺ァ違うな、下(しも)から四枚目がいい」
「ああ、なるほど・・・?ん 真ん中だから同じだい」
「どうして、あの女がいいんだい」
「着ている仕懸けが『八橋』だからな、俺達ァ八橋は恋しいよ」
「なんていう名か聞いてみな。おい、若い衆さん、八橋の仕懸けェ着ているのは何てェ名前だい」
「私どもにはいませんよ」
「あすこにいるじゃないか」
「八橋の仕懸け着ているのはお向こうさんですよ」
蛙だから立ってたんで、目が後ろについていた。 ]

 右側の「蝸牛」は、「舞い舞いつぶり」で、「さらば角出して遊ぼうか、面白い、面白い」、そして、「とてもの事に、もう一本出して遊ぼう、こいつはてんとたまらねぇ」という科白で、右端の最後の科白は、「あゝ、夢なれ、夢なれ」とある。


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江戸の狂画・奇想画(その四) [腹筋逢夢石]

その四 山東京伝・歌川豊国らの「鵜・河豚」

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『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)・二編』所収「鵜・鰒」

 右の「鵜」は、「鰻を呑む鵜」で、科白は、「おらア 呑むことの名人で、布子も袷も呑んでしまった。かかアが簪まで呑んだから、これから丸桁(中に綿を入れた丸帯)を呑むのだ。おっつけ鍋・釜も呑むぞヨ」とある(図で呑んでいるのは、その丸帯である)。
 狂句は、「声あらば 鮎も啼くらん 鵜飼船」(越人)である・
 左の「鰒」は、「潮際鰒」で、「俺は、前編の『蛙』で落ちを取ったから、又、この身振りを思いついた。俺がような腹っぷくれで無くては、此の身振りは出来ぬ、出来ぬ」とほざいている(両手に持っているのは扇子。尾っぽも扇子。「潮際鰒」は毒性が強い鰒である)。


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江戸の狂画・奇想画(その三) [腹筋逢夢石]

その三 山東京伝・歌川豊国らの「蛇・虱・鴛鴦」

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『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)・二編』所収「蛇・虱・鴛鴦」

 上段の「蛇」の図は、「蛙を呑んだ蛇」の題が付してある。この蛇の背中は「縞柄の帯」なのである。舌は「紙縒り(コヨリ)」で、「舌と見えるか、どうだ、どうだ」と粋ぶっている。狂句は、「ほろほろとおつる涙や蛇の玉」、作者は、尾張蕉門の重鎮にして芭蕉と面識のある越智越人である。
 下段右の「虱」には、「こういう顔をするには、鏡に向かって稽古したこちゃねえ。むず痒い顔と見えるか、見えるか」と啖呵を切っている。狂句は、「おしどりの盃閉じよ薄氷」、作者は、蕉門十哲の第一の門弟にして「江戸座」の開祖・宝井其角である。
 どうやら、この「虱」の眼は、左に居る「おしどり」を狙っている。其角の句は、その「おしどり」に関係する雰囲気であるが、ここは、其角に相応しく、『去来抄』にある、芭蕉と去来との「其角」評を付言して置きたい。

切られたるゆめはまことかのみのあと 其角

 去來曰(イワ)く「其角は誠に作者にて侍(はべ)る。わずかに、のみの喰(クラ)ひつきたる事、たれかかくは謂(イ)ひつくさん」。先師(芭蕉)曰く「しかり。かれは定家(テイカ)の卿(キョウ)也。さしてもなき事を、ことごとしくいひつらね侍る、ときこへし評に似たり」。

 さて、この左の「おしどり」(雄のトサカがある)は、「俺がように口が尖って出額(デビタイ)に生まれつかるば、此の身振りは出来ぬ」と、右の睨んでいる「虱」ではなく、この図にはない、「雌(メス)のおしどり」にウィンクしているのである。
 ここで、其角の「おしどりの盃閉じよ薄氷」の句が活きて来る。



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江戸の狂画・奇想画(その二) [腹筋逢夢石]

その二 山東京伝・歌川豊国らの「豚・奴凧・蝋燭」

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『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)・三編』所収「豚・奴凧・蝋燭」

 この左下の挿絵は「家猪(ブタ)」なのである。その「豚」の物真似に、「なんだ、髢(カモジ=女性の髪のための添え髪)を尻に挟むな。いいじゃねえか。一寸のうち貸して下せえ。嬶(カカア)どの、もう俺に口を聞かせて下さんな。口をきくと、面(ツラ)が豚にならねえ」の科白が付いている。
 この豚の物真似は喜劇なのだが、この科白が付いて来ると、大爆笑のうちに、悲劇に似た刻苦の人間の姿が浮かび上がって来る。
 左上の「奴紙鳶(ヤッコダコ)」には、「やり梅の花を散らすな奴紙鳶(ヤッコダコ)柳の糸に風はありとも(京伝)」の狂歌である。「やり梅(槍梅)」は、「槍梅文様」(槍を立てて並べた枝の梅が咲いている文様)の、この奴凧の半纏の梅柄を指しているのであろう。
 京伝は、当時のスーパー・マルチアーティストで、「戯文・戯画・浮世絵師・江戸小紋デザイナー・狂詩・狂歌・狂句・狂画・三味線・唄・踊り・漢詩・古典・和歌・俳諧」等々、それに加えて、当時のそれらのメディア(情報発信地)の、総括マネージャー(経営者・商売人)でもあった。
 この「槍梅文様の奴凧」の姿は、当時の江戸社交界の主軸を成す華やかな花柳界(柳の風)の中で、その「凧」の「糸」が切れるほどの、「江戸粋人・マルチアーティスト」の「風を一身に受けての威風靡堂々とした・山東京伝」の英姿なのかも知れない。
 続く、右側の「蝋燭(ロウソク)の流れ」は、単なる「蝋燭」の物真似ではない。「蝋燭の滴り落ちる」その様の物真似である。「蝋燭の流れ」は、別称「蝋涙」で、「老涙」(年寄りのもろく出やすい涙)に通ずる。
 「槍梅文様の奴凧」は、「江戸粋人のマルチ・スーパースター」京伝の英姿ならば、こちらは、松平定信の「寛政の改革」の取り締まりにより、発禁処分となり、「手鎖(テグサリ・テジョウ)」の刑に処せられ、「恨み目・アカンベーの舌出し・恨めしや―の幽霊の手つき」の京伝の自虐像と相成る。
 これに付する狂歌は、「小夜風に散る灯火は蝋燭の流れも逢へぬ紅葉なりけり(山東京山)」である。この「山東京山」は、京伝の弟で、こちらも、京伝に劣らずの、マルチタレントのスターである。
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江戸の狂画・奇想画(その一) [腹筋逢夢石]

その一 山東京伝・歌川豊国らの「鶏・蜻蛉・翡翠」

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『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)・三編』所収「鶏・蜻蛉・翡翠」

 江戸後期の『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)』は、黄表紙(大人の絵本)の一種の滑稽本である。この初編の傍題に「鳥獣魚虫類介科口技(トリ・ケダモノ・ウオ・ムシルイ・ミブリ・コワイロ)」とある。
 すなわち、「鳥獣魚虫類」の身振り・物真似をさせながら、彼らの目を通して、人間界を語らせ、滑稽化しようとするのが狙いのようである。
『腹筋逢夢石(ハラスジ・オウムセキ)』の「逢夢石」は、中国清代初期の戯曲作家の李漁(笠翁・李笠翁)の『笠翁伝記』に由来があって、「鸚鵡石(オウムセキ)」の捩りで、本来の意味は、「言葉を反響する石」の名前のようである。
 それが変じて、「歌舞伎役者の声色」の代名詞として用いられるようになったらしい。この「腹筋(ハラスジ)」の意味は不明だが、「腹の虫」(心中の感情を虫に例えてのもの)「筋」(その系統)のような意味に取って置きたい。
 作者は、「山東京伝戯作 歌川豊国戯画」となっているが、この戯画(挿絵)の下絵は山東京伝が克明に描いて、稿本の形で絵師に渡しているから、この戯画(挿絵)は、二人の共作と解した方が良かろう。
 さて、この挿絵の「鶏(ニワトリ)」だが、「傘をこう尻におっぱさむには、豪儀に骨が折れる」との口上があって、「此の傘、後に役に立たぬと覚悟すべし」との付言が施されている。
 この「鶏の傘見立ての尾」は、「しだり尾は柳に似ても若鶏の風にあらそふ さか毛怒り毛(京伝)」の歌(狂歌)が、一番上段の所に書いてある。
 この「鶏の鶏冠」は、「これ坊や、手前の頭巾をおとっさんに一寸のうち貸してくりや」とあり、我が子の頭巾なのである。
 これらの突拍子もない「異常見立ての世界」が、この滑稽本の世界なのである。これは、この「鶏の傘見立ての尾」に因んでの狂歌に対応して、「狂画」とネーミングして差し支えなかろう。
 因みに、「蜻蛉(トンボ)」に関する戯文はないが、目玉を大きく開け、両手を羽に見立てて、飛び上がって様は、これまた「狂画」というネーミングに相応しい。
 この「翡翠(カワセミ)」の嘴は、刀の「柄袋(ツカブクロ)」、額に紐で結び付けているのは「羽箒(ハネホウキ)」で、「此の戸はお持仏さまの戸棚の戸だ。生臭い手で持つまい」と、足で掴んでいるのである。
 ここまで来ると、奇想天外な「駄洒落の駄洒落」の彼方に、人間と人間を取り巻く社会の、その狂気の世界の一端を、ずばりと見せて呉れている。

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