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奇想画周辺(寄せ絵四) [歌川国芳]

国芳の「寄せ絵四」

国芳・人1.jpg
歌川国芳画「人かたまって人になる」

人おほき
人の
中にも
人ぞなき
人になれ人
人になせ人

国芳とアルチンボルド、この両者をじっくり鑑賞したい。

アルチンボルド展
会期:2017年6月20日〜9月24日
会場:国立西洋美術館
住所:東京都台東区上野公園7-7
電話番号:03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間:9:30〜17:30(金土〜20:00、入場は閉館の30分前まで)
休館日:月(ただし、8月14日、9月18日は開館)
入館料:一般 1600円 / 大学生 1200円 / 高校生 800円 / 中学生以下無料

ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593年)は、16世紀後半にウィーンとプラハのハプスブルク家の宮廷で活躍した、イタリア・ミラノ生まれの画家です。自然科学に深い関心を示したマクシミリアン2世、稀代の芸術愛好家として知られるルドルフ2世という神聖ローマ皇帝たちに寵愛されたアルチンボルドは、歴史上でもひときわ異彩を放つ、宮廷の演出家でした。そんな「アルチンボルド」の名は何よりも、果物や野菜、魚や書物といったモティーフを思いがけないかたちで組み合わせた、寓意的な肖像画の数々によって広く記憶されています。奇想と知、驚異と論理とが分かちがたく交錯するそれらの絵画は、暗号のようにして豊かな絵解きを誘い、20世紀のシュルレアリスム以後のアーティストたちにも、大きな刺激を与えました。

アルチンボルド2.jpg





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奇想画周辺(寄せ絵三) [歌川国芳]

国芳の「寄せ絵三」

国芳1.jpg

歌川国芳画「みかけはこはゐがとんだいゝ人だ」

大ぜいの人がよってたかって
とふと
いゝ人をこしらへた
とかく人のことは
人にしてもらはねば
いゝ人にはならぬ

歌川国芳【うたがわくによし】
江戸末期の歌川派の浮世絵師。江戸神田の生れ。本名井草孫三郎。一勇斎,朝桜楼と号した。初世歌川豊国の門人。《通俗水滸伝豪傑百八人》(1827年)以来画名を高くし、〈武者絵の国芳〉と評判をとった。


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奇想画周辺(寄せ絵二) [歌川国芳]

国芳の「寄せ絵二」

国芳・人4.jpg

歌川国芳画「としよりのよふな若い人」

いろいろな人がよって
わたしのかほをたてゝおくれで
誠にうれしいよ
人さまのおかげで
よふよふ人らしい
かほになりました

歌川国芳(一七九七~一八六一)は、武者絵や風景画、戯画など
意表をつく作品を残した浮世絵師である。

この女性の人の顔、その説明書きが書いてある。
それを翻訳すると上記のとおりである。
この絵の題は、右上に「としよりのよふな若い人」とある。

猪口を持っている手も、「人」で出来ている。


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奇想画周辺(寄せ絵一) [歌川国芳]

国芳の「寄せ絵一」

国芳人3.jpg

歌川国芳画「人をばかにした人だ」

人の心はさまざまなものだ 
いろいろくふうして
よふよふ一にんまへになった

歌川国芳(一七九七~一八六一)

この男の顔は「裸の男が何人も寄せ合い、折り重なって、合成されている。」
→「寄せ絵」とも「嵌め絵」とも言われている。



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奇想画周辺(山姥一) [喜多川歌麿]

奇想画周辺(三)「山姥・金太郎・盃」

歌麿・盃.jpg
「山姥・金太郎・盃」(歌麿筆) 大判・錦絵

 喜多川歌麿は、「山姥・金太郎」を主題にしたものを、いろいろの視点から、いろいろに制作しているが、この「山姥・金太郎・盃」は、「金太郎」(子)に「山姥」(母)が、「盃」(盃の酒)を飲ましている図であろう。
 これまた、「金太郎伝説」というよりも「酒呑童子伝説」への、歌麿のアプローチなのかも知れない。

奇想画周辺(達磨二) [竹田春信]

奇想画周辺(二)「達磨遊女異装図」(竹田春信筆)

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「達磨遊女異装図」(竹田春信筆)心遠館蔵

 達磨が遊女の着物を着て、遊女が達磨の法衣を着ている。遊女はともかくとして、この達磨は奇妙奇天烈である。さながら「おかま・達磨」「女形(おやま)・達磨」である。達磨は「聖なるもの」、遊女は「俗なるもの」、その二人が着物を取り換えて、「聖なるものに俗を見・俗なるものに聖を見る(?)」ことをテーマにしているとか(『日本絵画のあそび・榊原悟著・岩波新書)。
 この竹田春信は、伝歴未詳の浮世絵師だが、梅翁軒永春と同一人物とかと言われている。作画期は元禄から享保の頃にかけてで、肉筆浮世絵を得意とし美人画を描いた。
 京都の曽我蕭白は、この江戸の浮世絵師などを知っていたのかどうかは不明だが、蕭白の「見返り達磨」と形相は似ている感じがする。

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奇想画周辺(達磨一) [曽我蕭白]

奇想画周辺(一)蕭白と墨渓の達磨図

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蕭白筆・紙本墨画・一二一・三[×]五四・五cm「達磨図」

 「見返り美人」の如き「見返り達磨」である。落款に「曽我蕭白鎮酔画」とある。大きな眼・髭、そしていわゆる「達磨被(かつ)ぎ」の法衣をまとい、典型的な「達磨」図なのだが、この視線は、どう見ても、アンチ「達磨」の形相である。
『近世逸人画史』では、「草画の如きは藁に墨つけてかきまはしたる如きものあり」と、この法衣の太い、一筆描きのような描線と、畳の上で描いたのか、畳目までが浮き彫りになっている。そして、それがまた、この達磨図を一層引き立ててもいる。
 眉毛や髭の薄墨も、蕭白がテクニシャンであることを物語っている。落款の「鎮酔画」からして、酒席での即興的な「席画」なのであろう。この「席画」の一部終始を見ていた方々は、さぞかし拍手喝采をしたことであろう。
 蕭白は、「蛇足十世孫」と堂々と名乗っているが、この「蕭白」の「白」は、真珠庵方丈の達磨図
を描いた曽我蛇足一世・墨渓の「墨=黒」から来ているのであろうか。

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墨渓筆「一休賛・達磨図」(大徳寺真珠庵)部分図








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狂画の鬼才「河鍋暁斎」(その一) [河鍋暁斎]

(その一)「達磨耳かき図」

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「達磨の耳かき図」(暁斎筆)絹本着色・明治四年(一七八一)以降・「太田記念美術館蔵」

 この江戸期から明治期に掛けての「狂画の鬼才・河鍋暁藤(カワナベギョウサイ)」の、この代表的な肉筆画「達磨の耳かき図」は、江戸中期から後期に掛けての、「奇想画の旗手」の一人「曽我蕭白」の「群仙図屏風」の「左隻」の一コマの、次の図に示唆を受けたことに、違和感を抱く人は少なかろう。

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「群仙図屏風」(蕭白筆)の「左隻」(部分図・蝦蟇仙人)




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