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狂画の鬼才「河鍋暁斎」(その七) [河鍋暁斎]

(その七) 「地獄大夫」あれこれ

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「地獄大夫と一休」一幅 絹本着色 一三六・九×六九・〇cm 明治四年(一八七一)以降 (福富太郎コレクション資料室?)(ゴールドマンコレクション)
「ゴールドマンコレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力」

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「地獄大夫図」一幅 絹本着色 五四・八×九八・三cm 明治四年(一八七一)以降
個人蔵

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「地獄大夫」ボストン美術館蔵 (「ダブル・インパクト 明治ニッポンの美」)
明治時代 149×70.1cm Charles Bain Hoyt Fund and funds donated by John C. Weber 2010.373 近年、ボストン美術館のコレクションに加わった1点。暁斎は活躍当時から外国人のファンが多かったが、それは今日でも変わらない。

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「地獄大夫と一休」(ゴールドマンコレクション)
「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力」

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「暁斎楽画 第九号 地獄大夫」明治七年(一八七四) 大判錦絵 一枚 沢村屋板
河鍋暁斎記念美術館蔵

地獄大夫が朱の衣を羽織っているのは珍しい。本図は地獄大夫が骸骨の遊戯を夢に見ているところを描いたもの。地獄大夫と骸骨を取り合わせたのは仮名草子『一休骸骨』によったものとされる。本図の見どころは何といっても骸骨のしぐさの見事な描写だ。墓石を盗んで運んだり、琴や三味線を弾いたり、囲碁に興じたり、酒を飲んだり踊ったりと、何とも賑やかな骸骨たちだ。太夫の衣の下に隠れているのは閻魔大王のようだ。
『別冊太陽 奇想の天才絵師 河鍋暁斎(監修=安村敏信)』所収「作品解説(安村敏信稿)」


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狂画の鬼才「河鍋暁斎」(その六) [河鍋暁斎]

(その六)「曲結雅画手本(きょくむすびおさなえてほん)」

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「曲結雅画手本一」 大判錦絵 文久三年(一八六三) 河鍋暁斎記念美術館蔵
落款名 惺々周麿 (暁斎の別号)

こま回しのひもを使ったひも絵であり、基本的には一本のひもを使って一筆描きの一筆絵(書)になっているが、なかには右図のかるわざのように人物と綱を別のひもで表わしたものや、二本で一対の人や動物を表現した場面もある。ほとんどが人物と動物で、これらの絵本にもなっている。1枚ごとに、こまで遊ぶいたずらっ子や、ひも絵を楽しむ子ども図を入れてある。

https://www.kumon-ukiyoe.jp/index.php?main_page=product_info&cPath=5_6&products_id=1393

右上に、「曲結雅画手本(きょくむすびおさなえてほん)」とあり、その左脇に、「惺々周麿」の署名がある。「五だんめ」「おいらん」「むま」「うし」「うさぎ」「ねずみ」「つる」等々の説明書きが付されている。

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「曲結雅画手本二」

https://www.kumon-ukiyoe.jp/index.php?main_page=product_info&cPath=5_6&products_id=1394

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「曲結雅画手本三」

https://www.kumon-ukiyoe.jp/index.php?main_page=product_info&cPath=5_6&products_id=1395



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狂画の鬼才「河鍋暁斎」(その五) [河鍋暁斎]

(その五)「蛙の蛇退治」他

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「蛙の蛇退治」(部分図)一面 紙本着色 大英博物館蔵 明治十ニ年(一八七九)頃  
三七・二×五ニ・〇cm

弱者と強者を逆転させることで哄笑を誘う構図は「鳥獣戯画」以来の伝統といえる。本図では、弱者である蛙が強者である蛇の自由を奪うことに成功して大喜び。自由の効かないのをいいことに、蛇の胴で曲芸やぶらんこをしたり、銀杏の葉の扇をかざして見えを切る者もいる。日頃の恨みの返報とばかり、やりたい放題だ。しかし、まだしっかりと縛りつけられていない尻尾に振り回されている者もいて、いつ形勢逆転するか油断はならないようだ。
『別冊 太陽 河鍋暁斎 奇想の天才絵師 (監修=安村敏信)』所収「作品解説(佐々木英理子稿)」

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蛙の人力車と郵便夫

https://www.city.warabi.saitama.jp/hp/menu000010200/hpg000010162.htm

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「蛙の放下師」 一幅 紙本墨画淡彩 ゴールドマン・コレクション 明治四年(一八七一)以降 一三二・六×四五・六cm

様々な曲芸を演じる蛙たちを暁斎はよく描いている。本図は蓮の果実を太鼓にした軽やかなリズムに乗って登場した殿様蛙が、扇子片手に蓮の果実付きの茎を口の上乗せて、片足をあげる。太鼓打ちは気合が入ってきて、怪気炎を吐き出す。茎の上ではもう一匹の蛙が三味線を弾き鳴らす。彼に向って茎を登ってゆく蛙は一体何をするのやら。淡墨の速筆で瞬く間に仕上げられた思しき、軽妙洒脱な作品である・
『別冊 太陽 河鍋暁斎 奇想の天才絵師 (監修=安村敏信)』所収「作品解説(安村敏信稿)」

狂画の鬼才「河鍋暁斎」(その四) [河鍋暁斎]

(その四)「巨大化猫」

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「巨大化猫」(「芝居説話画帖・全八図」の内の一帖)絹本着色 個人蔵
一九・二×二八・七cm 明治三年(一八七〇)以前 

「月之輪主人」(大伝馬町・小間物問屋・勝田伍兵衛)の注文で制作したもの。これは、「芝居説話画帖・全八図」の内の一つであるが、この他に、「江戸名所伝奇画帖一(全二十六図)」・
「同二(全二十二図)」がある。とにもかくにも、この「巨大化猫」は圧巻である。


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狂画の鬼才「河鍋暁斎」(その三) [河鍋暁斎]

(その三)「髑髏(しゃれこうべ)と蜥蜴(とかげ)」

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「髑髏(しゃれこうべ)と蜥蜴(とかげ)」(全十四図中の一帖)
絹本着色 個人蔵 一九・一×一四・六cm
明治二・三年(一八六、七〇)

「風俗鳥獣画譜」(全十四図)中の一帖。「髑髏と蜥蜴」は、「髑髏」の目から這い出す「蜥蜴」が難とも不気味だ。次の、北斎の「百物語(しうねん)」が念頭にあるか? 背景は広重調の風景画の雰囲気である。

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葛飾北斎「百物語」(しうねん) 中判錦絵 葛飾北斎美術館蔵 天保元年(一八三〇)
「このシリーズものは、五作が確認されている。位牌に骨壺から出てくる蛇が絡むという不気味な図。」

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伊藤若冲「髑髏図」絹本着色 一〇二・五×五ニ・六cm 台東区有形文化財 臨江寺蔵
宝暦十年(一七六〇)

近年、東京で発見された若冲四十五歳頃の作。若冲は髑髏を「人間は無から生じ、無に帰す」という禅的精神の象徴として描いたと思われる。
『反骨の画家 河鍋暁斎(狩野博幸・河鍋楠美著)』

暁斎は、これらの、若冲の「髑髏」ものも承知していたように思われる。

狂画の鬼才「河鍋暁斎」(その二) [河鍋暁斎]

(その二)「鳥獣戯画 画稿」

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「鳥獣戯画 画稿 猫又と狸」一面 紙本淡彩 河鍋暁斎記念美術館 制作年不明
五三・二×六〇・六cm

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「鳥獣戯画 画稿 梟と狸の行列」一面 紙本淡彩 河鍋暁斎記念美術館 制作年不明
五七・五×六〇・八cm

「鳥獣戯画」は、伝鳥羽僧正覚猷(1053~1140)の「鳥獣人物戯画」に遡る古い画題だ。しかし暁斎の鳥獣戯画は、妖しき世界を醸し出している。実際、赤いチャンチャンコを着た猫は、尻尾が二つに分かれた妖怪「猫又」であり、狸も頭に木の葉を載せ、今まさに変化(へんげ)するところ。一方、行列をなす動物たちも曲者(くせもの)で、狐は頭に髑髏を載せた化け狐。烏帽子をつけた梟が先導し、狸が木葉を着て化け狐に乗り、蛙はその狸に大笠を差しかけている。この怪しい行列は一体何に化けるのか……。こうして動物たちさえ擬人化し、表情豊かに描く暁斎の筆力は、どこから生み出されたのだろう。暁斎にとって「写生」とは、あらゆる動物の骨格、構造や瞬間の動きを記憶してしまうことだった(モーテイマー・メンピス談)。日々写生に勤(いそ)しんだという暁斎の驚くべき記憶力と再現力があって生み出された、魅力溢れる鳥獣戯画だ。
『別冊 太陽 河鍋暁斎 奇想の天才絵師 (監修=安村敏信)』所収「作品解説(加美山史子稿)」


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月岡芳年の錦絵 [月岡芳年]

その一 鬼若丸(「和漢豪気揃」)

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「和漢豪気揃 鬼若丸」 中判 大貞(版元) 明治元年(一八六八)
中右コレクション

鬼若丸は源義経の臣、武蔵坊弁慶の幼時の名。比叡山の稚児であった頃、古池に棲み人に悪さをする大鯉をひとりで退治したという。国芳に数種の作があるが、鯉の体の上に飛び移って戦う鬼若丸の構図に新味があり、鯉の動観にも迫力がある。明治五年(一八七二)に「一魁随筆 西塔ノ鬼若丸」として再創造されている。

「和漢豪気揃」(現在十図が確認されている。)
改印はすべて明治元年四月であるが、画風から見ると、版下絵は前年以前に制作されていたようである。
伝存する作品には、題名部分のぼかし摺の有無など、摺の異なる版が見られる。彫はすべて田中彫牛による。

『別冊太陽 月岡芳年 幕末・明治を生きた奇才浮世絵師(監修=岩切友里子)』

「一魁随筆」(和漢の故事・物語の人物を描いた十三図が知られている。)

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西塔ノ鬼若丸 (一魁随筆)
大判 明治五~六年(一八七二~七三)

明治元年の「和漢豪気揃 鬼若丸」と同材の作であるが、前作の構図を上下逆転させ、水中で緋鯉に組み付く構図としている。鯉の尾が画面枠外まで描かれていることによって、効果的な立体感と動感が生まれている。また、この構図は、さらに後年、画題は異なるが竪二枚継「金太郎捕鯉魚」に再生されている。本作は初版で、天笞のぼかしなど摺の異なる版も作られている。

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鬼若丸と大緋鯉 [歌川国芳]

その五 鬼若丸と大緋鯉

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国芳作「鬼若丸と大緋鯉」 大判三枚続 
右 35.6cm×24.7cm
中 35.6cm×24.7cm
左 35.5cm×24.7cm
一勇斎国芳戯画/芳桐印
名主単印 米良
弘化元年(1844)~三年(1846)
美濃屋忠助

「中」面の人物に、「鬼若丸」、「右」面の女性について、「乳母飛鳥」と記されている。「乳母飛鳥」の後方に、男性が二人居る。助太刀に来たのだが、ひるんで後退りしている。

http://shizubi.jp/exhibition/110709_02.php

竜巻のごとき勢いで巨大な赤鯉が出現!鬼若丸がこれを捕らえんとする緊張の瞬間!
大判三枚続の画面が繰り広げる、動と静のスペクタクル!

国芳には「鬼若丸」のものが多い。

https://buttonde.exblog.jp/19334499/


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西塔鬼若丸 歌川国芳
武蔵坊弁慶の若いとき。鬼若丸こと弁慶が巨大な鯉を退治したという有名なエピソード。鯉の迫力と、それを押さえつける鬼若丸の力強さ。


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讃岐院眷属をして為朝を救くふ図 [歌川国芳]

その四 讃岐院眷属をして為朝を救くふ図

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一勇斉国芳(歌川国芳)版元・鳳来堂 住吉屋政五郎 
嘉永四年(1851)東京国立博物館蔵
大判三枚続 芳桐印
名主双印  米良・渡辺
右  37.3×25.5
中 39.1×25.5
左 37.1×25.2

www.photo-make.jp/hm_2/kuniyoshi_kisou_6.html

『珍説 弓張月』曲亭馬琴作 挿絵・葛飾北斎から題材をとっている。鎮西西八郎源為朝は、九州から京に上り平清盛を討つため舟を進めた。途中、暴風に遭い妻白縫姫は海を鎮めるため身投じる(右)。為朝は悲観して切腹しようとするが、讃岐院崇徳上皇の命を受けた烏天狗に救われる。そこに現れた巨大な鰐鮫の背に我が子瞬天丸(すてまる)と忠臣紀平治が現れ、皆は鰐鮫の背に乗り琉球に逃れる。鰐鮫は忠臣・高間太郎と彼の妻が作り出したものだった。
  異なる時間を一つの画面に配する手腕は見事であり、浪の表現は円熟した職人技を感じさせる。この表現方法は、「異時同図」という平安時代から使われた絵画技法です。現物(本物)の浮世絵では、烏天狗の姿は空押し(からおし)で摺られているのでは、と思うがどうだろう。ズーム画像を確認ください、烏天狗の輪郭が確認出来ます。おそらく三枚揃いの豪華摺りで高価であったであろう。

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http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiGazouCard/A5_hermitage_0007_0001_0000.html


国芳 「烏天狗」(エルミタージュ美術館)
為朝の危機に駆け付けた崇徳院の眷属たち。みな山伏姿の烏天狗である。背中には大きな翼があり、海上を飛行している。肌の色はそれぞれ異なり、灰色、青、赤、中央の1体だけは鼻が大きく伸びており、両の2体は嘴である。


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宮本武蔵と巨鯨 [歌川国芳]

その三 宮本武蔵と巨鯨

 この「宮本武蔵と巨鯨」は、別称、「宮本武蔵の鯨退治」などとも呼ばれている。右面の上部に、「宮本武蔵は庇護の産にして、後豊前に来つて奉仕す。また諸国をめぐりて剣術を修行す。ある時肥前の国の海上にて、大ひなる背美鯨をさしとふす。」との説明書きが施されている。
 葛飾北斎の「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」に、「巨鯨」と「宮本武蔵」を据えたか(?)
この「巨鯨」も、何かの、輸入ものの図鑑などを参考にした感じで無くもない(?)
中の画面の、腹の辺りの、二か所の青い飛沫を受けているようだが(?)、これは、完全に、海上に飛躍している「巨鯨」の図であろう(?)

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宮本武蔵と巨鯨(みやもとむさしときょげい) 国芳作
大判三枚続
右 36.7cm×25.1cm
中 36.9cm×25.1cm
左 36.9cm×25.0cm
一勇斎国芳戯画/芳桐印
名主双印 米良・村田
弘化4年(1847)~嘉永三年(1850)
川口屋正蔵

www.maff.go.jp/j/pr/aff/1607/spe1_01.html



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「千絵の海 五島鯨突」絵・前北斉為一筆(葛飾北斎)版元・森屋治兵衛 天保3~4年(1833)頃、横中判(29.3×19.0センチ錦絵、東京国立博物館蔵  
長崎県五島の魚目に伝わる漁法、慶長11年(1606)頃、熊野の鯨突き漁が伝わり行われた。小舟で鯨を追いかけ銛で突き弱らせながら浅瀬に追い込む。やや北斎の大胆さに欠ける。



http://www.photo-make.jp/hm_2/hokusai_chie.html



千絵の海シリーズは、つい最近までその残存数が極めて少ないために、数枚を出したとこで販売中止された。または版下・校合摺りの段階で中止されたというのが、ほぼ定説であった。ところが2011年1月10日、テレビNHK総合放送にて「パリ国立図書館写本部で画帳仕立ての『千絵の海10枚揃い』が発見された」。



なにやら、国芳の「宮本武蔵と巨鯨」は、この北斎の「千絵の海 五島鯨突」を背景にしたものという雰囲気が濃厚である。


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