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後鳥羽院撰「時代不同歌合」その一 [時代不同歌合]

その一  柿本人麿と大納言経信

人麿と経信.jpg

「時代不同歌合絵巻 : 模本. 1-4 / 後鳥羽院 撰」早稲田大学図書館蔵
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he04/he04_01584/he04_01584_p0003.jpg

一番
   左                柿本人麿
たつた河紅葉ばながるかみなびのみむろの山に時雨ふるらし(拾遺冬)
   右                大納言経信
夕さればかどたのいなばおとづれてあしのまろやに秋風ぞ吹く(金葉秋)

二番
   左
足引の山鳥のをのしだりをのながながし夜をひとりかもねん(拾遺恋三)
   右
秋のよは衣さむしろかさねても月の光りにしくものぞなき(新古今秋下)
【君が世はつきじとぞおもふかみかぜやみもすそ川のすまむかぎりは(後拾遺賀)】

三番
   左
乙女子がそでふる山のみづがきの久しき世より思ひそめてき(拾遺恋四)
   右
おきつかぜ吹きにけらしな住吉の松のしづえをあらふ白浪(後拾遺雑四)

(参考)

http://www.emuseum.jp/detail/100258

人麿と経信二.jpg

重要文化財 1帖 紙本墨画 28.3×49.6 鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館 A-19

左に古今集、後撰和歌集、拾遺和歌集の歌人を、右に後拾遺和歌集、金葉集、詞花集、千載和歌集、新古今和歌集の歌人を配したもので、後鳥羽上皇(1180~1239)が各時代の歌人をとり合わせて歌合を創ったものである。ほんらい150番の歌からなる上下2巻のものであるが、この東京国立博物館本はその上巻、75番からなる。もともと巻子であったものを現在は切り離して画帖形式となっている。
 絵は色彩を用いない白描で、面相部が比較的細緻な筆で、体はおおらかな筆線で描かれている。原本は後鳥羽上皇の周辺で、藤原信実に代表される絵師による似絵の手法で作られたものであろうことが、ここからも想像される。時代不同歌合は他にも伝存するが、本作品は鎌倉時代にさかのぼる、しかも上巻を完存する唯一の遺品であり重要である。

(周辺メモ)

『御影御日記』の建武三年(一三三六)十ニ月二十五日に、「時代不同御絵、先皇殊被執思食之条、定被知食置歟、且御影堂御本尊、若不慮事令出来給者、以此御影可奉尊崇之由、慥承勅定二条局西御方所奉持也」とある。この「西御方」は慈光寺本『承久記』、また、『平戸記』にもその名があり、「時代不同歌合絵巻」は、後鳥羽院の在世中に制作されたものと考えて良い。『続史愚抄』によると、「光明天皇の命により、先皇の光厳院の、のちに南朝の大臣となった冷泉大納言公泰から光厳院にもたらされた。」(『日本歴史叢書 肖像画 (宮崎新一著)』の要約)


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