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鬼若丸と大緋鯉 [歌川国芳]

その五 鬼若丸と大緋鯉

鬼若丸.jpg

国芳作「鬼若丸と大緋鯉」 大判三枚続 
右 35.6cm×24.7cm
中 35.6cm×24.7cm
左 35.5cm×24.7cm
一勇斎国芳戯画/芳桐印
名主単印 米良
弘化元年(1844)~三年(1846)
美濃屋忠助

「中」面の人物に、「鬼若丸」、「右」面の女性について、「乳母飛鳥」と記されている。「乳母飛鳥」の後方に、男性が二人居る。助太刀に来たのだが、ひるんで後退りしている。

http://shizubi.jp/exhibition/110709_02.php

竜巻のごとき勢いで巨大な赤鯉が出現!鬼若丸がこれを捕らえんとする緊張の瞬間!
大判三枚続の画面が繰り広げる、動と静のスペクタクル!

国芳には「鬼若丸」のものが多い。

https://buttonde.exblog.jp/19334499/


鬼若丸二.jpg

西塔鬼若丸 歌川国芳
武蔵坊弁慶の若いとき。鬼若丸こと弁慶が巨大な鯉を退治したという有名なエピソード。鯉の迫力と、それを押さえつける鬼若丸の力強さ。


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讃岐院眷属をして為朝を救くふ図 [歌川国芳]

その四 讃岐院眷属をして為朝を救くふ図

讃岐院.jpg

一勇斉国芳(歌川国芳)版元・鳳来堂 住吉屋政五郎 
嘉永四年(1851)東京国立博物館蔵
大判三枚続 芳桐印
名主双印  米良・渡辺
右  37.3×25.5
中 39.1×25.5
左 37.1×25.2

www.photo-make.jp/hm_2/kuniyoshi_kisou_6.html

『珍説 弓張月』曲亭馬琴作 挿絵・葛飾北斎から題材をとっている。鎮西西八郎源為朝は、九州から京に上り平清盛を討つため舟を進めた。途中、暴風に遭い妻白縫姫は海を鎮めるため身投じる(右)。為朝は悲観して切腹しようとするが、讃岐院崇徳上皇の命を受けた烏天狗に救われる。そこに現れた巨大な鰐鮫の背に我が子瞬天丸(すてまる)と忠臣紀平治が現れ、皆は鰐鮫の背に乗り琉球に逃れる。鰐鮫は忠臣・高間太郎と彼の妻が作り出したものだった。
  異なる時間を一つの画面に配する手腕は見事であり、浪の表現は円熟した職人技を感じさせる。この表現方法は、「異時同図」という平安時代から使われた絵画技法です。現物(本物)の浮世絵では、烏天狗の姿は空押し(からおし)で摺られているのでは、と思うがどうだろう。ズーム画像を確認ください、烏天狗の輪郭が確認出来ます。おそらく三枚揃いの豪華摺りで高価であったであろう。

烏天狗.jpg

http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiGazouCard/A5_hermitage_0007_0001_0000.html


国芳 「烏天狗」(エルミタージュ美術館)
為朝の危機に駆け付けた崇徳院の眷属たち。みな山伏姿の烏天狗である。背中には大きな翼があり、海上を飛行している。肌の色はそれぞれ異なり、灰色、青、赤、中央の1体だけは鼻が大きく伸びており、両の2体は嘴である。


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宮本武蔵と巨鯨 [歌川国芳]

その三 宮本武蔵と巨鯨

 この「宮本武蔵と巨鯨」は、別称、「宮本武蔵の鯨退治」などとも呼ばれている。右面の上部に、「宮本武蔵は庇護の産にして、後豊前に来つて奉仕す。また諸国をめぐりて剣術を修行す。ある時肥前の国の海上にて、大ひなる背美鯨をさしとふす。」との説明書きが施されている。
 葛飾北斎の「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」に、「巨鯨」と「宮本武蔵」を据えたか(?)
この「巨鯨」も、何かの、輸入ものの図鑑などを参考にした感じで無くもない(?)
中の画面の、腹の辺りの、二か所の青い飛沫を受けているようだが(?)、これは、完全に、海上に飛躍している「巨鯨」の図であろう(?)

宮本武蔵と巨鯨.jpg

宮本武蔵と巨鯨(みやもとむさしときょげい) 国芳作
大判三枚続
右 36.7cm×25.1cm
中 36.9cm×25.1cm
左 36.9cm×25.0cm
一勇斎国芳戯画/芳桐印
名主双印 米良・村田
弘化4年(1847)~嘉永三年(1850)
川口屋正蔵

www.maff.go.jp/j/pr/aff/1607/spe1_01.html



北斎・鯨.jpg

「千絵の海 五島鯨突」絵・前北斉為一筆(葛飾北斎)版元・森屋治兵衛 天保3~4年(1833)頃、横中判(29.3×19.0センチ錦絵、東京国立博物館蔵  
長崎県五島の魚目に伝わる漁法、慶長11年(1606)頃、熊野の鯨突き漁が伝わり行われた。小舟で鯨を追いかけ銛で突き弱らせながら浅瀬に追い込む。やや北斎の大胆さに欠ける。



http://www.photo-make.jp/hm_2/hokusai_chie.html



千絵の海シリーズは、つい最近までその残存数が極めて少ないために、数枚を出したとこで販売中止された。または版下・校合摺りの段階で中止されたというのが、ほぼ定説であった。ところが2011年1月10日、テレビNHK総合放送にて「パリ国立図書館写本部で画帳仕立ての『千絵の海10枚揃い』が発見された」。



なにやら、国芳の「宮本武蔵と巨鯨」は、この北斎の「千絵の海 五島鯨突」を背景にしたものという雰囲気が濃厚である。


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相馬の古内裏 [歌川国芳]

その二  相馬の古内裏

相馬の古内裏.jpg

相馬の古内裏(そうまのふるだいり)
大判錦絵3枚続 / 右37.1×25.5cm 中37.3×25.2cm 左37.2×24.1cm/天保(1830-44)
一勇斎国芳戯画/芳桐印
名主単印 渡

http://www.ccma-net.jp/collection_img/collection_02-15_kuniyoshi.html



歌川国芳(1797-1861)は、幕末期、国貞(三代豊国)、広重と実力・人気を三分した浮世絵師である。「武者絵の国芳」と呼ばれるほど武者絵を一新したが、そのほか狂画・戯画もよくし、天保期の風景画や、弘化・嘉永期の美人画も高く評価される。発想が豊かで次々に新機軸を打ち出し、幕末浮世絵会の活力源ともなっている。
本図は、山東京伝による読本『忠義伝』に取材した作品で、源頼信の家老大宅光国と平将門の遺児で妖術を操る滝夜叉姫との対決の場面である。活劇を見るような動きのあるシーンの描写と大胆な構図に国芳らしさのよく表れた人気の作品である。
解剖学的にもかなり正確であるとの指摘もある生々しい骸骨が御簾を破って大きく半身を乗り出す。読本の中では数百の骸骨が戦闘を繰り広げることになっているのを、あえて大きな骸骨の出現に代表させて鑑賞者の意表をついているのである。三枚続は、一図ずつでも構図が独立するように作画するのが通常であるが、その慣例をまったく意にとめない大胆さは国芳ならではといえるであろう。画面の全体を大きく用いた構図は、斬新であり迫力に満ちている。同様の三枚にわたって題材を大きく扱う構図法を取る作品では、「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」「宮本武蔵と巨鯨」「鬼若丸と大緋鯉」が本図と共に国芳の代表作として挙げられる。

(特機事項)
一 左の上部に、次のような説明書きがある。
「相馬の古内裏に、将門の姫君滝夜叉、妖術を以て味方を集むる。大宅(おおやの)太郎光圀妖怪を試さんと爰(ここに)来り、竟(つい)に之を亡ぼす。」

二 この骸骨は頗るリアルである。十八世紀から十九世紀にかけては、日本の近代的医学の幕開けの時代であった。人体解剖が行われたり、『解体新書』を始めとする輸入医学書の翻訳出版も見られた。それらの影響もあるのだろうか?


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朝比奈小人島遊 [歌川国芳]

その一 朝比奈小人島遊

朝比奈小人島遊.png

朝比奈小人島遊(あさひなこびとじまあそび)
大判三枚続 錦絵
右 三七・二×二五・五
中 三七・三×二五・一
左 三七・三×二五・五
一勇斎国芳戯画/芳桐印
名主双印 村松・吉村
弘化末~嘉永元年(一八四八)
彫正

http://shizubi.jp/exhibition/110709_01.php



歌川国芳(1797-1861)は、葛飾北斎(1760-1849)や歌川広重(1797-1858)と同時代に生き、武者絵に新境地を開いた人気の江戸ッ子浮世絵師です。
少年時代、浮世絵の王道・役者絵で名を成した初代歌川豊国(とよくに)に画才を見いだされ、その門人となりました。折しも『水滸伝(すいこでん)』や『八犬伝(はっけんでん)』などの小説が流行する中、国芳31歳の時「通俗水滸伝豪傑百八人之壹人(つうぞくすいこでんごうけつひゃくにんのひとり)」で脚光を浴び、空想の世界のヒーローを続々と生み出しました。また広重の保永堂版東海道五十三次を筆頭に、浮世絵界では風景画の傑作が相次いで版行された天保期、国芳は西洋画法を巧みに取り込み、光や影を鋭敏に捉えた斬新な風景画を描いています。
水野忠邦の「天保の改革」で役者絵や美人画が禁止されると、国芳はこれを逆手にとり、幕府に対して痛烈な風刺画を描き、奇想天外なアイディアの戯画などで禁令をくぐり抜けます。忠邦が失脚すると、今度は大判三枚続を活用したダイナミックな武者絵で一世を風靡しました。また国芳の猫好きは有名で、何気ないしぐさを的確にとらえた愛らしい作品を残しています。
こうした多彩な国芳の絵は、時代をこえて、浮世絵ファンのみならず、デザイン関係者や若者世代の注目を浴び、国際的にも高く評価されています。本展は国芳の没後150年を記念するもので、代表作はもちろん、新発見の傑作を多数含む421点で構成した史上最大級・空前絶後の展覧会です。
この夏、静岡市美術館で国芳の魅力をご堪能ください。


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奇想画周辺(寄せ絵四) [歌川国芳]

国芳の「寄せ絵四」

国芳・人1.jpg
歌川国芳画「人かたまって人になる」

人おほき
人の
中にも
人ぞなき
人になれ人
人になせ人

国芳とアルチンボルド、この両者をじっくり鑑賞したい。

アルチンボルド展
会期:2017年6月20日〜9月24日
会場:国立西洋美術館
住所:東京都台東区上野公園7-7
電話番号:03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間:9:30〜17:30(金土〜20:00、入場は閉館の30分前まで)
休館日:月(ただし、8月14日、9月18日は開館)
入館料:一般 1600円 / 大学生 1200円 / 高校生 800円 / 中学生以下無料

ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593年)は、16世紀後半にウィーンとプラハのハプスブルク家の宮廷で活躍した、イタリア・ミラノ生まれの画家です。自然科学に深い関心を示したマクシミリアン2世、稀代の芸術愛好家として知られるルドルフ2世という神聖ローマ皇帝たちに寵愛されたアルチンボルドは、歴史上でもひときわ異彩を放つ、宮廷の演出家でした。そんな「アルチンボルド」の名は何よりも、果物や野菜、魚や書物といったモティーフを思いがけないかたちで組み合わせた、寓意的な肖像画の数々によって広く記憶されています。奇想と知、驚異と論理とが分かちがたく交錯するそれらの絵画は、暗号のようにして豊かな絵解きを誘い、20世紀のシュルレアリスム以後のアーティストたちにも、大きな刺激を与えました。

アルチンボルド2.jpg





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奇想画周辺(寄せ絵三) [歌川国芳]

国芳の「寄せ絵三」

国芳1.jpg

歌川国芳画「みかけはこはゐがとんだいゝ人だ」

大ぜいの人がよってたかって
とふと
いゝ人をこしらへた
とかく人のことは
人にしてもらはねば
いゝ人にはならぬ

歌川国芳【うたがわくによし】
江戸末期の歌川派の浮世絵師。江戸神田の生れ。本名井草孫三郎。一勇斎,朝桜楼と号した。初世歌川豊国の門人。《通俗水滸伝豪傑百八人》(1827年)以来画名を高くし、〈武者絵の国芳〉と評判をとった。


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奇想画周辺(寄せ絵二) [歌川国芳]

国芳の「寄せ絵二」

国芳・人4.jpg

歌川国芳画「としよりのよふな若い人」

いろいろな人がよって
わたしのかほをたてゝおくれで
誠にうれしいよ
人さまのおかげで
よふよふ人らしい
かほになりました

歌川国芳(一七九七~一八六一)は、武者絵や風景画、戯画など
意表をつく作品を残した浮世絵師である。

この女性の人の顔、その説明書きが書いてある。
それを翻訳すると上記のとおりである。
この絵の題は、右上に「としよりのよふな若い人」とある。

猪口を持っている手も、「人」で出来ている。


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奇想画周辺(寄せ絵一) [歌川国芳]

国芳の「寄せ絵一」

国芳人3.jpg

歌川国芳画「人をばかにした人だ」

人の心はさまざまなものだ 
いろいろくふうして
よふよふ一にんまへになった

歌川国芳(一七九七~一八六一)

この男の顔は「裸の男が何人も寄せ合い、折り重なって、合成されている。」
→「寄せ絵」とも「嵌め絵」とも言われている。



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