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北斎(その三十) [北斎]

(その三十)Zhong Kui (Shoki) killing a demon(鍾馗の鬼退治) フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

鍾馗.jpg

Zhong Kui (Shoki) killing a demon
Type Hanging scroll (mounted on panel)
Maker(s) Artist: Attributed to Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1760-1868
Medium Color on silk panel
Dimension(s) H x W: 85 x 42.3 cm (33 7/16 x 16 5/8 in)

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北斎(その二十九) [北斎]

(その二十九)「賀奈川沖本杢之図(かながわおきほんもくのず)」

賀奈川沖本杢之図.jpg

北斎「賀奈川沖本杢之図」(横間判錦絵 二三・三×三五・三cm) 墨田区

「おしをくりはとうつうせんのづ」と共に、後年の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」に繋がる作品。波には「板ぼかし」の技法で陰影が施され、立体的表現が試みられている。

「ぼかしとは浮世絵版画における摺りの技法の一種である。
空、海、山、川などの部分に濃淡をつけて空間や塊を表現するもので、文化頃から板ぼかしが使用されるようになり、天保初期から拭きぼかてなし、当てなしぼかしなどが多く用いられるようになった。
板ぼかしとは、ぼかす部分の版木を木賊、椋の葉を使用して磨いて版面に傾斜をつけて摺るとガサッとした独特のぼかし効果が得られる。うねるような土坡の表現に用いられる。歌川国虎の錦絵『近江八景 三井晩鐘』の土坡がよく知られる。
拭きぼかしとは、ぼかしたい部分の版木をぬれ雑巾で拭いて、その上を刷毛を使用して絵具をはいて摺ると水分に絵具が広がって紙にぼかしの表現ができる。水平で真っ直ぐなぼかしを「一文字ぼかし」といい、画面の最上部の一文字ぼかしを「天ぼかし」という。
当てなしぼかしとは、ぼかす部分の版木に水を垂らし、そこに絵具を含ませて摺ると、当てがなく偶然の形に滲んでぼかしが生じる。歌川広重の『名所江戸百景』におけるむら雲などの表現に使用されている。」(wiki)
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北斎(その二十八) [北斎]

(その二十八)「おしをくりはとうつうせんのづ」

おしをくりはとうのづ.jpg

北斎「おしをくりはとうつうせんのづ」 横中判(一九・二×二五・〇cm) 名古屋市博物館寄託

 上記の落款は、「おしをくりはとうつうせんのづ ほくさいゑがく」(押送波濤通船の図 ・北斎描く)と「ほくさいゑがく くだんうしがふち」(北斎描く・九段牛が淵)を、横文字にして、アルファベット(阿蘭陀文字)で記している。

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北斎(その二十七) [北斎]

(その二十七)A Seated Man Looking at Potted Peonies (鉢植えの牡丹を見る男)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

牡丹を見る男.jpg

A Seated Man Looking at Potted Peonies → 鉢植えの牡丹を見る男
Type Hanging scroll (mounted on panel)
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1760-1849
Medium Ink and color on paper
Dimension(s) H x W: 127 x 54.1 cm (50 x 21 5/16 in)

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北斎(その二十六) [北斎]

(その二十六)Landscape: parties of men and women looking at cherry blossoms(花見)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

花見.jpg

Landscape: parties of men and women looking at cherry blossoms → 花見
Type Hanging scroll
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1760-1849
Medium Color on paper
Dimension(s) H x W (overall): 222.9 x 73.8 cm (87 3/4 x 29 1/16 in)


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北斎(その二十五) [北斎]

(その二十五)Boy fishing from the limb of a tree(木の上で釣りをする少年)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

釣りをする少年.jpg

Boy fishing from the limb of a tree
Type Hanging scroll (mounted on panel)
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1839
Medium Ink and color on silk
Dimension(s) H x W (image): 77.1 × 29.9 cm (30 3/8 × 11 3/4 in)

落款は「画狂老人卍筆 齢八十」、(その二十二)Boy Viewing Mount Fuji(富士を見て笛を吹いている少年) と(その二十四)Boy seated on a tree trunk playing a flute(木の上で笛を吹く少年)と、同一時期の作と思われる。

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北斎(その二十四) [北斎]

(その二十四)Boy seated on a tree trunk playing a flute(木の上で笛を吹く少年)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

笛を吹く少年.jpg

Boy seated on a tree trunk playing a flute
Type Hanging scroll
Maker(s) Artist: Attributed to Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1760-1849
School Ukiyo-e School
Medium Ink and color on paper
Dimension(s) H x W (overall): 189.3 x 45 cm (74 1/2 x 17 11/16 in)

落款は「画狂老人卍筆 齢八十」、(その二十二)Boy Viewing Mount Fuji(富士を見て笛を吹いている少年)と同一時期の作か?

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北斎(その二十三) [北斎]

(その二十三)Fisherman(漁師)Woodcutter・(木こり)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

漁師.jpg

Fisherman → 漁師
Type Hanging scroll
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1849
School Ukiyo-e School
Medium Ink and color on silk
Dimension(s) H x W (image): 113 x 39.6 cm (44 1/2 x 15 9/16 in)

木こり.jpg

Woodcutter → 木こり
Type Hanging scroll
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1849
School Ukiyo-e School
Medium Ink and color on silk
Dimension(s)H x W (image): 113.6 × 39.6 cm (44 3/4 × 15 9/16 in)

「漁樵(ぎょしょう)問答図」
絹本着色二幅 各一一三・七×三九・六cm
署名「九十老人卍筆」 印章「百」
嘉永二年(一八四九) フリーア美術館蔵
北斎晩年の作品。北宋の詩人、蘇軾「漁樵閑話」に基づく伝統的画題。そびえる奇岩を前に斧を手に持つ樵(きこり)の垂直表現と、漂う波の前に座る漁師の水平表現が呼応する。漁師の籠に魚ではなく羽が覗くのは問答の産物か。
(『別冊太陽 北斎 生誕二五〇年記念 決定版』所収「作品解説(高杉志緒稿)」)

蘇軾「漁樵閑話」
・『鉄斎大成』第1巻(富岡鉄斎画 講談社 1976年)→図42「漁樵問答図」の解説p383「賛は北宋の学者で隠逸の士でもあった邵雍の『漁樵対問』の一節。樵夫と漁師との問答に託して、己れの力以上のことをすると身をそこねる、人は分に応じて事をなすのが賢明である、と説いたもの」、図54「漁樵閑話図」の解説p384「賛は宋の易学者邵雍(堯夫)の『漁樵対問』の文を録する。その大意は「魚を釣るには竿・綸(いと)、浮、沈(おもり)、鈎(はり)、餌の六物を具えなければならぬ、その中の一つでも欠ければ魚は釣れぬ、しかし、六物が全部そろっても、魚の釣れぬ場合もある。それは天運がしからしめるのだ、人がある事をなすには、勿論全力を尽くさねばならぬが、事の成否は天運次第だ」という意。」、図108-109「漁樵問答図」の解説。「右隻賛は宋の学者邵雍の『漁樵対問』の中の、樵夫と漁師の問答にかりて、人は己の力に応じた仕事をすべきであると説く文、第42図と同じ文である。左隻も同じ『漁樵対問』の文で、大意は第54図と同じ。

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北斎(その二十二) [北斎]

(その二十二)Boy Viewing Mount Fuji(富士を見て笛を吹いている少年)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

冨士と少年.jpg

Boy Viewing Mount Fuji → 富士を見て笛を吹いている少年
Type Hanging scroll
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1839
Medium Ink and color on silk
Dimension(s) H x W (image): 36.2 x 51.3 cm (14 1/4 x 20 3/16 in)
(留書き)
落款は、「画狂老人卍筆 齢八十」とある。
天保十年(一八三九 八十歳)→ この頃、本所石原片町、本所達磨横丁に住むが、初めて火災に遭い多くの縮図を焼失するという。肉筆画「西瓜図」が描かれた年。蛮社の獄があった。

西瓜図.jpg

葛飾北斎(1760~1849) 一幅 天保10年(1839) 絹本着色 86.7×29.7 宮内庁蔵

浮世絵師として知られる葛飾北斎の肉筆画で,北斎80歳の作。近年,乞巧奠を表しているのではないかとも説かれる不思議な情景を描くこの絵は,様々な画法を学んだ北斎の,精神性もともなった斬新な作品である。

(乞巧奠=きこうでん)→陰暦七月七日の夜、牽牛星(けんぎゅうせい)・織女星を祭る儀式。たなばたまつり。


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北斎(その二十一) [北斎]

(その二十一)Mount Fuji and Enoshima (富士と江の島図)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

冨士と江の島図.jpg

Mount Fuji and Enoshima → 富士と江の島図 → 海浜冨士遠望図
Type Screens (two-panel) → 二曲一双 
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849) → 印章「葛しか」
Historical period(s) Edo period, ca. 1825-1831
School Ukiyo-e School
Medium Iink and color on paper → 紙本着色
Dimension(s) H x W (overall, each panel): 187.1 x 90.7 cm (73 11/16 x 35 11/16 in)
【落款は「葛飾北斎為一画」。今は屏風だが、紙面に引手の跡があるため、もとは襖絵であったと考えられる。近景には波が打ち寄せる七里ガ浜が広がり、遠景には向かって左から江の島・烏帽子岩・富士山が見える。 】
(『別冊太陽 北斎 生誕二五〇年記念 決定版』所収「作品解説(高杉志緒稿)」)
 ↑
為一時代(六十一歳の頃から七十四歳頃まで) → この時代にシーボルト事件が起きた。
北斎とシーボルトとは、若干の交流があった。北斎の作品が、ライデン国立民族博物館(オランダ)にあり、それらは、シーボルトの寄贈品といわれている。上記の作品も、ライデン国立民族博物館の作品と類似している。
 ↓
1820(文政3)61歳
「為一」落款の作品が見えはじめる。▽肉筆画「白拍子」(北斎戴斗改為一筆 印=葛し可)この頃か。亀戸天満宮で「鷽替」の神事が始めらる。北尾重政没(享年82)。
1821(文政4)62歳
北斎の女子(四女阿猶か)没する(11月13日)。伊能忠敬「大日本沿海実測図」。
1822(文政5)63歳
本年、長女阿美代と門人・柳川重信が離縁するという 。▽料埋本「江戸流行料理通」2編(八百屋善四郎著 北斎改為一筆)。式亭三馬没(享年47)。
1823(文政6)64歳   → シーボルト、出島のオランダ商館医として着任
この頃から川柳の号に卍を用いる。▽絵手本「今様櫛きん雛形」(前北斎為一先生画図)。
須原屋版「江戸切絵図」。大田南畝(幕臣・大田覃)没(享年75)。
1824(文政7)65歳   →  シーボルト、鳴滝塾を開く  
▽絵手本「新形小紋帳」(前ほくさゐ為一筆)。鍬形蕙斎没(享年64)。
1825(文政8)66歳
選句集「俳諷柳多留」85編に序文を寄せる。初代・歌川豊国没(享年57)。
1826(文政9)67歳。▽考証本「還魂紙料」(柳亭種彦作 為一模ほか)。
1827(文政10)68歳
この頃、中風を患うが自家製の薬で回復するという 。▽肉筆画「歌占図」(文政十丁亥年正月二日筆始 北斎為一敬画)。小林一茶没(享年65)。
1828(文政11)69歳   → シーボルト事件(国禁の地図を持ちだす)
後妻こと女が没する(6月5日)。▽絵手本「光悦正風 盆画独稽古」(月花永女著 為一筆)。
酒井抱一没(姫路藩主忠以の弟)(享年68)。
1829(文政12)70歳
この頃、孫(柳川重信の子)の放蕩に苦しむという。「偐紫田舎源氏」初編(柳亭種彦作、歌川国貞画)。
1830(天保元)71歳
放蕩の孫を高崎から奥州へ連れて行かせるという。宿屋飯盛没(享年78)。
1831(天保2)72歳
▽横大判「富嶽三十六景」全46枚(前北斎為一筆ほか)この頃か。寺門静軒「江戸繁昌記」。
1832(天保3)73歳
▽横大判「琉球八景」全8枚(前北斎為一筆)この頃か。十返舎一九没(享年67)。
1833(天保4)74歳
▽絵本「唐詩選画本 五言律」(高井蘭山著 前北斎為一画)。▽縦大判「諸国瀧廻り」全8枚(前北斎為一筆)。人情本「春色梅児誉美」初・二編(為永春水作)。この頃から「天保の大飢饉」始まる。

長崎商館長(カピタン)が江戸参府の際(1826年)、北斎に日本人男女の一生を描いた絵、2巻を150金で依頼した。そして随行の医師シーボルトも同じ2巻150金で依頼した。北斎は承諾し数日間で仕上げ彼らの旅館に納めに行った。商館長は契約通り150金を支払い受け取ったが、シーボルトの方は「商館長と違って薄給であり、同じようには謝礼できない。半値75金でどうか」と渋った。北斎は「なぜ最初に言わないのか。同じ絵でも彩色を変えて75金でも仕上げられた。」とすこし憤った。シーボルトは「それならば1巻を買う」というと、通常の絵師ならそれで納めるところだが、激貧にもかかわらず北斎は憤慨して2巻とも持ち帰ってきた。当時一緒に暮らしていた妻も、「丹精込めてお描きでしょうが、このモチーフの絵ではよそでは売れない。損とわかっても売らなければ、また貧苦を重ねるのは当たり前ではないか。」と諌めた。北斎はじっとしばらく黙っていたが「自分も困窮するのはわかっている。そうすれば自分の損失は軽くなるだろう。しかし外国人に日本人は人をみて値段を変えると思われることになる。」と答えた。
通訳官がこれを聞き、商館長に伝えたところ、恥じ入ってただちに追加の150金を支払い、2巻を受け取った。この後長崎から年に数100枚の依頼があり、本国に輸出された。シーボルトは帰国する直前に国内情報を漏洩させたことが露見し、北斎にも追及が及びそうになった。(シーボルト事件)
オランダ国立民族学博物館のマティ・フォラーによると、1822年のオランダ商館長ブロムホフが、江戸参府の際日本文化の収集目的で北斎に発注し4年後受け取る予定としたが、自身の法規違反で帰国。後継の商館長ステューレルと商館医師シーボルトが1826年の参府で受け取った。現在確認できるのは、オランダ国立民族学博物館でシーボルトの収集品、フランス国立図書館にステューレルの死後寄贈された図だという。西洋の絵画をまねて陰影法を使っているが絵の具は日本製(シーボルトコレクションでは紙はオランダ製)である。

司馬江漢.jpg

司馬江漢「相州鎌倉七里浜図」油彩 九五・六×一七八・五cm 神戸市立博物館蔵

北斎の「富士と江の島図」(海浜冨士遠望図)は、この「相州鎌倉七里浜図」をモデルにしているか? また、北斎の娘で、北斎の片腕でもあった「葛飾応為(おうい)」の手も入っているか(?)


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