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『蛙合(仙化編)』(二十番句合) [江戸の俳諧]

『蛙合』『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』(大内初夫、櫻井武次郎、雲英末雄校注、一九九四、岩波書店)

https://suzuroyasyoko.jimdofree.com/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%96%A2%E4%BF%82/%E8%9B%99%E5%90%88-%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80/

【 『蛙合』は貞享三年(一六八六)の春、深川芭蕉庵に芭蕉、素堂、孤屋、去来、嵐雪、杉風、曾良、其角らが会して二十番の蛙の句合を行い、その衆議判を仙化が書き留めたもの。その目的は「句合という趣向を借りて全二十組、すなわち四十句によって、和歌伝統の美学を脱した蛙の実相を活写する試み」(「古池の風景」谷地快一『東洋通信二〇〇九・一二』所収)であった。和歌伝統の代表作は「かはづ鳴く井出の山吹散りにけり花のさかりにあはましものを」(不知・古今・春)。
 芭蕉の高弟其角は句合の時、「古池や」ではなく「山吹や」を上五に提案したが採用されなかった。その其角の、発句「古池や」に付けた脇句が、寛政十一年(一七九九)に尾張の暁台が編んだ『幽蘭集』(芭蕉連句集)に収載されている。
   古池やかはづ飛こむ水の音    はせを
     芦のわか葉にかゝる蜘の巣   其角
 「なべて同条件のもとで発句に詠まれていないものを付けて、発句の世界の焦点を絞り、より具体的にして余情豊かな効果を導き出すのが脇句の役所である」(『連句辞典』)が、発句と同時同場の春景がそっと添えられている。飛び込む蛙と蜘蛛の巣の相対付(あいたいづけ)けにおかしみも感じる

http://www.basho.jp/ronbun/ronbun_2013_10_01/08.html   】

「一番
   左
 古池や蛙飛こむ水のおと      芭蕉
   右
 いたいけに蛙つくばふ浮葉哉    仙化
   此ふたかはづを何となく設たるに、四となり
   六と成て一巻にみちぬ。かみにたち下におく
   の品、をのをのあらそふ事なかるべし。」

「第二番
   左勝
 雨の蛙声(コハ)高(だか)になるも哀也 素堂
   右
 泥亀と門(かど)をならぶる蛙哉     文鱗
   小田の蛙の夕ぐれの声とよみけるに、雨のか
   はづも声高也。右、淤泥の中に身をよごして、
   不才の才を楽しみ侍る亀の隣のかはづならん。
   門を並ぶると云たる、尤手ききのしはざな
   れども、左の蛙の声高に驚れ侍る。」

「第三番
   左勝
 きろきろと我頬(ツラ)守る蛙哉  嵐蘭
   右
 人あしを聞(きき)しり顔の蛙哉  孤屋
   左、中の七文字の強きを以て、五文字置得て
   妙なり。かなと留りたる句々多き中にも、此
   句にかぎりて哉といはずして、いづれの文字
   をかおかん。誠にきびしく云下したる、鬼
   拉一体、これらの句にや侍らん。右、足
   音をとがめて、しばし鳴やみたる、面白く侍
   りけれ共、左の方勝れて聞侍り。」

「第四番
   左持
 木のもとの氈(せん)に敷(しか)るる蛙哉 翠紅
   右
 妻負(おふ)て草にかくるる蛙哉      濁子
   飛かふ蛙、芝生の露を頼むだにはかなく、花
   みる人の心なきさま得てしれることにや。つ
   まおふかはづ草がくれして、いか成人にかさ
   がされつらんとおかし、持。」

「第五番
   左
 蓑うりが去年(こぞ)より見たる蛙かな   李下
   右勝
 一畦(あぜ)はしばし鳴やむ蛙哉      去来
   左の句、去年より見たる水鶏かなと申さまほ
   し。早苗の比の雨をたのみて、蓑うりの風情
   猶たくみにや侍るべき。右、田畦をへだつる
   作意濃也。閣々蛙声などいふ句もたより
   あるにや。長是群蛙苦相混、有時也作
   不平鳴といふ句を得て以て力とし、勝。」

「第六番
   左持
 鈴たえてかはづに休む駅(ムマヤ)哉  友五
   右
 足ありと牛にふまれぬ蛙哉       琪樹
   春の夜のみじかき程、鈴のたへまの蛙、心に
   こりて物うきねざめならんと感太し。右、
   かたつぶり角ありとても身をなたのみそとよ
   めるを、やさしく云叶へられたり。野径のか
   はづ眼前也、可為持。」

「第七番
   左
 僧いづく入相のかはづ亦淋し     朱絃
   右勝
 ほそ道やいづれの草に入(いる)蛙  紅林
   雨の後の入相を聞て僧寺にかへるけしき、さ
   ながらに寂しく聞え侍れども、何れの草に入
   かはづ、と心とめたる玉鉾の右を以て、左の
   方には心よせがたし。」

「第八番
   左
 夕影や筑(つく)ばに雲をよぶ蛙  芳重
   右勝
 曙の念仏はじむるかはづ哉     扇雪
   左、田ごとのかはづ、つくば山にかけて雨を
   乞ふ夕べ、句がら大きに気色さもあるべし。
   右、思ひたへたる暁を、せめて念仏はじむる
   草庵の中、尤殊勝にこそ。」

「第九番
   左勝
 夕月夜畦に身を干す蛙哉       琴風
   右
 飛(とぷ)かはづ猫や追行小野の奥  水友
   身をほす蛙、夕月夜よく叶ひ侍り。右のかは
   づは、当時付句などに云ふれたるにや。小の
   のおく取合侍れど、是また求め過たる名所と
   や申さん。閑寥の地をさしていひ出すは、一
   句たよりなかるべきか。ただに江案の強弱を
   とらば、左かちぬべし。」

「第十番
   左
 あまだれの音も煩らふ蛙哉      徒南
   右勝
 哀にも蝌(かへるご)つたふ筧かな  枳風
   半檐疎雨作愁媒鳴蛙以与幽人語、な
   どとも聞得たらましかば、よき荷担なるべけ
   れども、一句ふところせばく、言葉かなはず
   思はれ侍り。かへる子五文字よりの云流し、
   慈鎮・西行の口質にならへるか。体かしこけ
   れば、右、為勝。」

「第十一番
   左
 飛かはづ鷺をうらやむ心哉     全峰
   右勝

 藻がくれに浮世を覗く蛙哉     流水
   鷺来つて幽池にたてり。蛙問て曰、一足独挙、
   静にして寒葦に睡る。公、楽しい哉。鷺答へ
   て曰、予人に向つて潔白にほこる事を要せず。
   只魚をうらやむ心有、と。此争ひや、身閑に
   意くるしむ人を云か。藻がくれの蛙は志シ高
   遠にはせていはずこたへずといへども、見解
   おさおさまさり侍べし。」

 「第十二番
   左持
 よしなしやさでの芥とゆく蛙    嵐雪
   右
 竹の奥蛙やしなふよしありや    破笠
   左右よしありや、よしなしや。」

「第十三番
   左持
 ゆらゆらと蛙ゆらるる柳哉     北鯤
   右
手をかけて柳にのぼる蛙哉     コ斎
   二タ木の柳なびきあひて、緑の色もわきがた
   きに、先一木の蛙は、花の枝末に手をかけて、
   とよめる歌のこと葉をわづかにとりて、遙な
   る木末にのぞみ、既のぼらんとしていまだの
   ぼらざるけしき、しほらしく哀なるに、左の
   蛙は樹上にのぼり得て、ゆらゆらと風にうご
   きて落ぬべきおもひ、玉篠の霰・萩のうへの
   露ともいはむ。左右しゐてわかたんには、数
   奇により好むに随ひて、けぢめあるまじきに
   もあらず侍れども、一巻のかざり、古今の姿、
   只そのままに筆をさしおきて、後みん人の心
   心にわかち侍れかし。」

「第十四番
   左持
 手をひろげ水に浮(うき)ねの蛙哉  ちり
   右
 露もなき昼の蓬に鳴(なく)かはづ  山店
   うき寐の蛙、流に枕して孫楚が弁のあやまり
   を正すか。よもぎがもとのかはづの心、句も
   又むねせばく侍り。左右ともに勝負ことはり
   がたし。」

「第十五番
   左
 蓑捨(すて)し雫にやどる蛙哉   橘襄
   右勝
 若芦にかはづ折(をり)ふす流哉  蕉雫
   左、事可然体にきこゆ。雫ほすみのに宿か
   ると侍らば、ゆゆしき姿なるべきにや。捨る
   といふ字心弱く侍らん。右、流れに添てす
   だく蛙、言葉たをやか也。可為勝か。」

「第十六番
   左
 這(はひ)出て草に背をする蛙哉      挙白
   右勝
 萍(うきくさ)に我子とあそぶ蛙哉     かしく
   草に背をする蛙、そのけしきなきにはあらざ
   れども、我子とあそぶ父母のかはづ、魚にあ
   らずして其楽をしるか。雛鳧は母にそふて
   睡り、乳燕哺烏その楽しみをみる所なり。風
   流の外に見る処実あり、尤勝たるべし。」

「第十七番
   左勝
 ちる花をかつぎ上たる蛙哉     宗派
   右
 朝草や馬につけたる蛙哉      嵐竹
   飛花を追ふ池上のかはづ、閑人の見るに叶へ
   るもの歟。朝草に刈こめられて行衛しられぬ
   蛙、幾行の鳴をかよすらん、又捨がたし。」

「第十八番
   左持
 山井(やまのゐ)や墨のたもとに汲(くむ)蛙 杉風
   右
 尾は落(おち)てまだ鳴(なき)あへぬ蛙哉  蚊足
   山の井の蛙、墨のたもとにくまれたる心こと
   ば、幽玄にして哀ふかし。水汲僧のすがた、
   山井のありさま、岩などのたたずまひも冷じ
   からず。花もなき藤のちいさきが、松にかか
   りて清水のうへにさしおほひたらんなどと、
   さながら見る心地せらるるぞ、詞の外に心あ
   ふれたる所ならん。右、日影あたたかに、小
   田の水ぬるく、芹・なづなやうの草も立のび
   て、蝶なんど飛かふあたり、かへる子のやや
   大きになりたるけしき、時に叶ひたらん風俗
   を以、為持。」

「第十九番
   左勝
 堀を出て人待(まち)くらす蛙哉   卜宅
   右
 釣(つり)得てもおもしろからぬ蛙哉 峡水
   此番は判者・執筆ともに遅日を倦で、我を忘
   るるにひとし。仍而以判詞不審。左かち
   ぬべし。」

「第二十番
   左
 うき時は蟇(ヒキ)の遠音も雨夜哉  そら
   右
 ここかしこ蛙鳴ク江(え)の星の数  キ角
   うき時はと云出して、蟾の遠ねをわづらふ草
   の庵の夜の雨に、涙を添て哀ふかし。わづか
   の文字をつんでかぎりなき情を尽す、此道の
   妙也。右は、まだきさらぎの廿日余リ、月な
   き江の辺リ風いまだ寒く、星の影ひかひかと
   して、声々に蛙の鳴出たる、艶なるやうにて
   物すごし。青草池塘処々蛙、約あつてきた
   らず、半夜を過と云ける夜の気色も其儘にて、
   看ル所おもふ所、九重の塔の上に亦一双加へ
   たるならんかし。」

「追加
    鹿島に詣侍る比(ころ)真間の継はしニて
 継橋(つぎはし)の案内顔(かほ)也飛(とぶ)蛙 不卜」

 頃日(けいじつ)会/深川芭蕉庵而/群蛙(ぐんあ)鳴句以※衆議判(しゅうぎはん)而/
馳禿筆(とくひつ)青蟾(せいせん)堂仙化(せんか)子撰(えらぶ)焉乎
  貞享三丙寅歳閏三月日  新革屋町 西村梅風軒

※衆議判(しゅうぎはん)
① 合議で優劣、善し悪し、採否などを決めること。
※浮世草子・好色敗毒散(1703)三「まづ今日は初会の事なれば、女郎の物好き重ねて、衆議判(シュギハン)にて極むべし」
② 歌合で、参加した左右の方人(かたうど)が、互いにその歌の優劣を判定すること。また、その方法。
※源家長日記(1216‐21頃)「此御歌合和歌所にて衆儀はん也しに、この歌をよみあけたるを、たひたひ詠せさせ給、よろしくよめるよしの御気色なり」
(「精選版 日本国語大辞典」)

http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0002-001204

『蛙合(仙化編)).jpg

『蛙合(仙化編))(「東京大学付属図書館」蔵) 3/21(コマ)

(追記)
 『蛙合(仙化編)』が成った「貞享三年(一六八六)」、芭蕉、四十三歳の時であった。この蛙を主題とする「二十番句合」(二句ずつ合わせて四十句、プラス、追加一句の四十一句)は、それぞれ判詞を添え、「仙化をはじめとして素堂・其角・嵐雪・杉風・去来・嵐蘭・素堂・文鱗・弧屋・濁子・破笠」等々と錚々たる連衆である。
 仙化の「跋」によると「衆議判」ということであるが、これだけの連衆が一堂に会しての「衆議判」というのは破天荒のことで、実際に芭蕉庵に会した連衆は、「庵主芭蕉・友人素堂・板下を書いた其角・編者仙化などが、さしずめ当日の出席者であろうか」(『元禄俳諧集・岩波書店』)と、全くの連衆全員による「衆議判」ではないと解すべきなのであろう。
 また、芭蕉の句の「古池や蛙飛びこむ水のおと」も、この『蛙合』の貞享三年(一六八六)時の作ではなく、それより以前の、天和二年(一六八二)、芭蕉、三十九歳時の作と解するのが(『芭蕉集(全))・古典俳文学大系五』)、『蛙合(仙化編)』と同年次に成った『春の日(荷兮編)』収載とも関連し妥当のように思われる。

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