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「水鶏啼と(歌仙)」(元禄七年五月二十五日『笈日記(支考撰)』) [江戸の俳諧]

「水鶏啼と(歌仙)」(元禄七年五月二十五日『笈日記(支考撰)』)

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初表
   隠士山田氏の亭にとどめられて
 水鶏啼(なく)と人のいへばや佐屋泊 芭蕉(「水鶏」で夏、鳥類、水辺。「人」は人倫)
   苗の雫を舟になげ込(こむ)      露川(「苗」で夏。「舟」は水辺)
 朝風にむかふ合羽(かつぱ)を吹たてて   素覧(無季。「合羽」は衣裳)
   追手(おふて)のうちへ走る生もの   芭蕉(無季)
 さかやきに暖簾せりあふ月の秋  露川(「月の秋」で秋、夜分、天象)
   崩(くづれ)てわたる椋鳥の声     素覧(「椋鳥」で秋、鳥類)
初裏
 耕作の事をよくしる初あらし   芭蕉(「初あらし」で秋)
   豆腐あぢなき信濃海道    露川(無季。旅体)
 尻敷の縁(ヘリ)とりござも敷やぶり   素覧(無季)
   雨の降(ふる)日をかきつけにけり  芭蕉(無季。「雨」は降物)
 焙烙のもちにくるしむ蠅の足   露川(「蠅」で夏、虫類。)
   藺(ゐ)を刈あげて門にひろぐる  素覧(「藺を刈」で夏)
 切麦であちらこちらへ呼れあふ  芭蕉(「切麦」で夏)
   お旅の宮のあさき宵月    露川(「宵月」で秋、夜分、天象。神祇)
 うそ寒き言葉の釘に待ぼうけ   素覧(「うそ寒」で秋。恋)
   袖にかなぐる前髪の露    芭蕉(「露」で秋、降物。「袖」は衣裳。恋)
 咲花に二腰はさむ無足人     露川(「咲花」で春、植物、木類。「無足人」は人倫)
   打ひらいたるげんげしま畑  素覧(「げんげ」で春、植物、草類)
二表
 山霞鉢の脚場を見おろして    支考(「山霞」で春、聳物、山類)
   船の自由は半日に行(ゆく)     左次(無季。「船」は水辺)
 月夜にて物事しよき盆の際(きは)    巴丈(「月夜」で秋、夜分、天象)
   かりもり時の瓜を漬込(つけこ    露川(「瓜」で秋)
 三鉦(みつがね)の念仏にうつる秋の風  素覧(「秋の風」で秋。釈教)
   使をよせて門にたたずむ   支考(無季。「使」は人倫)
 我恋は逢て笠とる山もなし    左次(無季。恋)
   年越の夜の殊にうたた寐   巴丈(「年越」で冬。恋。「夜」は夜分)
 扨(さて)は下戸いちこのやうに成にけり 露川(無季。「いちこ」は人倫)
   達者自慢の先に立れて    素覧(無季)
 金剛が一世の時の花盛      支考(「花盛」で春、花、植物、木類)
   つつじに木瓜の照わたる影  左次(「つつじに木瓜」で春、植物、木類)
二裏
 春の野のやたらに広き白河原    巴丈(「春の野」で春)
   三俵つけて馬の鈴音      露川(無季。「馬」は獣類)
 それぞれに男女も置そろへ     素覧(無季。恋。「男女」は人倫)
   よめらぬ先に娘参宮      支考(無季。恋。神祇)
 あり明に百度もかはる秋の空    左次(「あり明」で秋、夜分、天象。神祇)
   畳もにほふ棚の松茸      巴丈(「松茸」で秋。「畳」は居所)

『ゆづり物(杜旭自筆・元禄八年成)』の句形(参考)

二表(2)
 一度は暮して見たき山がすみ    支考
   ふねの自由は半日にゆく    左次
 月夜にて物事しよき盆の前     巴丈
   かりもり時の瓜を漬込     露川
 三鉦の念仏にうつる秋の風     素覧
   小者をやりて門にたたずむ   支考
 我恋は逢うて笠取ル山もなし    左次
   貧はつらきよ〇〇假寐     巴丈
 酒塩に酔ふた心も面白や      露川
   一里や二里の路は朝の間    素覧
 伊勢に居て芝居をしらぬ花盛    支考
   つつじの時はなを長閑也    左次
二裏(2)
 春の野のやたらに広キ白河原    巴丈
   から身で馬はしやんしやんと行 露川
 板葺のゆたかに見ゆるお蔵入    素覧
   山ちかふして薪沢山      支考

 参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

(『笈日記(支考撰)・上巻・「伊賀群」』

紀 行
 さや(佐屋)の舟まはりしに、有明の月入はてゝ、みのぢ、あふみ路の山々雪降かゝりていとお(を)かしきに、おそろしく髭生たるものゝふの下部などいふものゝ、やゝもすれば折々舟人をねめいかるぞ、興うしなふ心地せらる。桑名より処々馬に乗て、杖つき坂引のぼすとて、荷鞍うちかへりて、馬より落ぬ。ものゝ便なきひとり旅さへあるを、「まさなの乗てや」と、馬子にはしかられながら、

   かちならば杖つき坂を落馬哉

といひけれども、季の言葉なし。雑の句といはんもあしからじ。
                             ばせを
そのゝちいがの人々に此句の脇してみるべきよし申されしを

(『笈日記(支考撰)・下巻・「雲水追善」』)

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00032010#?c=0&m=0&s=0&cv=0&r=0&xywh=-2923%2C-260%2C12437%2C5191

雲水追善一.jpg

雲水追善二.jpg

雲水追善
 悼芭蕉翁   尾州熱田 連中
その神な月の二日、しばしとゞめず、今のむかしはかはりぬ。何事もかくとわきまへかぬるなみだ思へばくやし。芭蕉翁、十とせあまりも過ぬらん、いまぞかりし比(ころ)、はじめて此蓬莱宮におはして、「此海に草鞋を捨ん笠時雨」と心をとゞめ、景清が屋しきもちかき桐葉子がもとに、頭陀をおろし給ふより、此道のひじり(聖)とはたのみつれ。木枯の格子あけては、「馬をさへ詠る雪」といひ、やみに舟をうかべて浪の音をなぐさむれば、「海暮て鴨の声ほのかに白し」とのべ、白鳥山に腰をおしてのぼれば、「何やらゆかしすみれ草」となし、松風の里・寝覚の里・かゞ見山・よびつぎ(呼続)の浜・星崎の妙句をかぞへ、終にかたみとなし給ぬと、互に見やり泪の内に、人々一句をのべて、西のそらを拝すのみ。(『日本俳書体系3芭蕉時代三・蕉門俳諧後集』所収「笈日記(上・中・下:支考撰)」)
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「日の春を(百韻)」(貞享三丙寅年正月) [江戸の俳諧]

「日の春を(百韻)」(貞享三丙寅年正月)

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初表
日の春をさすがに鶴の歩ミ哉  其角
『初懐紙評注』には、「元朝の日花やかにさし出て、長閑に幽玄なる気色を、鶴の歩にかけて云つらね侍る。祝言外に顕る。流石にといふ手には感多し。」
季語は「春」で春、天象。「鶴」は鳥類。
  
砌(みぎり)に高き去年の桐の実 文鱗
『初懐紙評注』には、「貞徳老人の云。脇体四道ありと立られ侍れども、当時は古く成て、景気を言添たる宜とす。梧桐遠く立てしかもこがらしままにして、枯たる実の梢に残りたる気色、詞こまやかに桐の実といふは桐の木といはんも同じ事ながら、元朝に木末は冬めきて木枯の其ままなれども、ほのかに霞、朝日にほひ出て、うるはしく見え侍る体なるべし。但桐の実見付たる、新敷俳諧の本意かかる所に侍る。」
季語は「去年」で春。「桐」は植物、木類。

 雪村が柳見にゆく棹さして   枳風
『初懐紙評注』には、「第三の体、長高く風流に句を作り侍る。発句の景と少し替りめあり。柳見に行くとあれば、未景不対也。雪村は画の名筆也。柳を書べき時節、その柳を見て書んと自舟に棹さして出たる狂者の体、珍重也。桐の木立詠やう奇特に侍る。付やう大切也。」
季語は「柳」で春、植物、木類。「棹さして」は水辺。

  酒の幌(トバリ)に入(いり)あひの月 コ斎
『初懐紙評注』には、「四句目なれば軽し。其道の様体、酒屋といつもの能出し侍る。幌は暖簾など言ん為也。尤夕の景色有べし。」
季語は「月」は秋で秋、夜分、天象。

 秋の山手束(タツカ)の弓の鳥売(うら)ん 芳重
『初懐紙評注』には、「狩の鳥を得て市に持出て売体さも有べし酒屋に便りたる珍重の付様也。手束の弓は短き弓也。」
季語は「秋」で秋。「山」は山類。「鳥」は鳥類。
「手束(たつか)の弓」=「手に握り持つ弓。たつかの弓。」「―手に取り持ちて朝狩(あさがり)に君は立たしぬ棚倉(たなくら)の野に」〈万・四二五七〉

  炭竃こねて冬のこしらへ   杉風
『初懐紙評注』には、「前句ともに山家の体に見なして付侍る。猟師は鳥を狩、山賤は炭竃を拵て冬を待体、別条なき句といへども炭竃の句作、終に人のせぬ所を見付たる新敷句也。」
季語は「冬のこしらへ」で秋。

里々の麦ほのかなるむら緑   仙花
『初懐紙評注』には、「付やう別条なし。炭竃の句を初冬の末霜月頃抔の体に請て、冬畑の有様能言述侍る。その場也。」
季語は「麦ほのか」で冬、植物、草類。「里々」は居所。

  我のる駒に雨おほひせよ   李下
『初懐紙評注』には、「是等奇意也。何を付たるともなく、何を詠めたるともなし。里々の麦と言より旅体を言出し、むら緑などうるはしきより雨を催し侍る景色、弁口筆頭に不掛。」
無季。「我」は人倫。「駒」は獣類。

初裏
 朝まだき三嶋を拝む道なれば  挙白
『初懐紙評注』には、「是さしたる事なくて、作者の心に深く思ひこめたる成べし。尤旅体也。箱根前にせまりて雨を侘たる心。深切に侍る。」
無季。神祇。

  念仏にくるふ僧いづくより  朱絃
『初懐紙評注』には、「此句、僅に興をあらはしたる迄也。神社には仏者を忌む物也。参詣の僧も神前には狂僧也。三嶋は町中に有社なれば、道通りの僧もよるべきか。」
無季。釈教。

 あさましく連歌の興をさます覧 蚊足
『初懐紙評注』には、「連歌の興をさます、付やう珍し。度々我人の上にもある事にて、一入珍重に侍る。」
無季。

  敵(かたき)よせ来るむら松の声 ちり
『初懐紙評注』には、「聞えたる通別意なし。連歌に軍場を思ひ寄せたるなり。」
無季。「敵」は人倫。「むら松」は植物、木類。

 有明の梨打烏帽子着たりける  芭蕉
『初懐紙評注』には、「付様別条なし。前句軍の噂にして、又一句さらに云立たり。軍に梨子打ゑぼしとあしらいたる付やう軽くてよし。一句の姿、道具、眼を付て見るべし。」
季語は「有明」で秋、夜分、天象。「梨子打ゑぼし」は衣装。

  うき世の露を宴の見おさめ  筆
『初懐紙評注』には、「前句を禁中にして付たる也。ゑぼしを着るといふにて、却て世を捨てるといふ心を儲たり。観相なり。」
季語は「露」で秋、降物。

 にくまれし宿の木槿(むくげ)の散たびに 文鱗
『初懐紙評注』には、「宴は只酒もりといふ心なれば、世のあぢきなきより、恋の句をおもひ儲たり。木槿のはかなくしほるるごとく、我が身のおもひしほるといふより、にくまれしと五文字置なり。恋の句作尤感情あり。」
季語は「木槿」で秋、植物、木類。「宿」は居所。

  後(のち)住む女きぬたうちうち    其角
『初懐紙評注』には、「後住女は後添の妻といはん為也。にくまれしといふにて後添えの物と和せざる味を籠めたり。砧打々と重たるにて、千万の物思ひするやうに聞え侍る。愁思ある心にて、前句をのせたる也。翫味浅からず。」
季語は「きぬた」で秋。「女」は人倫。

 山ふかみ乳をのむ猿の声悲し  コ斎
『初懐紙評注』には、「砧は里水辺浜浦等に多くよみ侍る。尤姥捨更科吉野など山類にも読侍れば、砧を山類にてあしらひたる也。乳を呑猿と云にて、女といふ字をあしらひたる也。幽かなる意味、しかもよく通じたり。」
無季。「山ふかみ」は山類。「猿」は獣類。

  命を甲斐の筏ともみよ    枳風
『初懐紙評注』には、「猿の声悲しきより、山川のはげしく冷敷体形容したる付やう。尤山類をあしらひたる也。」
無季。「筏」は水辺。

 法(のり)の土我剃リ髪を埋ミ置(おか)ん 杉風
『初懐紙評注』には、「筏のあやうく物冷じきを見て、身の無常を観じたる也。甲斐と云は、古人仏者の古跡等多く、自然に無常も思ひよりたれば也。剃髪埋み置作為、新敷哀をこめ侍る。」
無季。釈教。

  はづかしの記をとづる草の戸 芳重
『初懐紙評注』には、「別意なし。草庵隠者の体也。さもあるべき風流なり。」
無季。「草の戸」は居所。

 さく日より車かぞゆる花の陰  李下
『初懐紙評注』には、「前句、隠者の体を断たる也。尤官禄を辞して、かくれ住人のいかめしき花見車を日々にかぞへて居る体也。只句毎に句作のやわらかにめづらしきに目を留むべし。」
季語は「花」で春、植物、木類。

  橋は小雨をもゆるかげろふ  仙花
『初懐紙評注』には、「春の景気也。季の遣ひ様、かろくやすらか成所を見るべし。花の閉目杯は、易々と軽く付るもの也。」
季語は「かげろふ」で春。「橋」は水辺。「小雨」は降物。

ニ表
 残る雪のこる案山子のめづらしく 朱絃
『初懐紙評注』には、「是又春の気色也。付やうさせる事なし。野辺田畑のあたり、残雪にやぶれたる案山子立たる姿哀也。景気を見付たる也。秋のもの冬こめて春迄残たるに、薄雪のかかりたる体、尤感情なるべし。」
季語は「残る雪」で春。

  しづかに酔(よう)て蝶をとる歌 挙白
『初懐紙評注』には、「句作の工なるを興じて出せる句也。蝶をとるとる歌て酔に興じたる体、誠に面白し。」
季語は「蝶」で春、虫類。

 殿守がねぶたがりつるあさぼらけ ちり
『初懐紙評注』には、「此句、附所少シ骨を折たる句也。前句に蝶を現在にしたる句にあらず。蝶をとるとる歌といふを、諷物にして付たる也。殿守は禁中の下官の者也。蝶取歌と云ふ風流より、禁裏に思ひなして、夜すがら夜明し興ありて、殿守等があけて、猶ねぶたげに見ゆる体也。」
無季。「殿守」は人倫。
「殿守」=「(「主殿署」と書く)律令制で、春宮とうぐう坊に置かれた役所。東宮の湯浴み・灯火・掃除などのことをつかさどった。とのもりつかさ。みこのみやのとのもりつかさ。しゅでんしょ。」

   はげたる眉をかくすきぬぎぬ 芭蕉
『初懐紙評注』には、「朝ぼらけといふより、きぬぎぬ常の事なり。はげたる眉といふは寝過して、しどけなき体也。伊勢物語に夙に殿守づかさの見るになどいへるも、此句の余情ならん。」
無季。恋。

 罌子咲(さき)て情(なさけ)に見ゆる宿なれや 枳風
『初懐紙評注』には、「はげたる眉といへば老長がる人のおとろへて、賤の屋杯にひそかに住る体也。罌子は哀なるものにて、上ツ方の庭には稀也。爰に取出して句を飾侍る。是等の句にて植物草花のあしらひ、所々に分別有べきなり。」
季語は「罌子」で夏、植物、草類。「宿」は居所。

   はわけの風よ矢箆切(ヤノキリ)に入(いる)コ斎
『初懐紙評注』には、「矢箆切といふ言葉先新し。前句民家にして武士の若者共、與風珍敷物かげなど見付たる体也。大形は物語などの体をやつしたる句也。或は中将なる人の鷹すへて小野に入、うき舟を見付たるなどのためし成ん。されども其故事をいふにはあらず。其余情のこもり侍るを意味と申べきか。」
無季。
「矢箆切(やのきり)」=矢の棒の部分である矢箆(やの)を切ることをいう。矢箆(やの)は矢柄(やがら)、矢箆竹(やのちく)ともいう。

 かかれとて下手のかけたる狐わな 其角
『初懐紙評注』には、「藪かげの有様ありありと見え侍る。しかも句作風情をぬきて、只ありのままに云捨たる句続き心を付べし。」
無季。

   あられ月夜のくもる傘    文鱗
『初懐紙評注』には、「冬の夜の寒さ深き体云のべ侍る。傘に霰ふる音いと興あり。然も月さへざへと見ゆる尤面白し。狐わなといふに、細に付侍るはわろし。」
季語は「あられ」で冬、降物。「月夜」は夜分、天象。

 石の戸樋(とひ)鞍馬の坊に音すみて 挙白
『初懐紙評注』には、「霰は雪霜といふより、少し寒風冷じく聞ゆる物なるによりて、鞍馬と云所を思ひよせたり。昔は名所の出し様、碪に須磨の浦十市の里吉野の里玉川など付て、證歌に便て付る。霰は那須の篠原、雪に不二、月に更科と付侍るを、当時は句の形容によりて名所を思ひよする。尤心得ある事也。」
無季。「鞍馬」は名所。「坊」は居所。

   われ三代の刀うつ鍛冶    李下
『初懐紙評注』には、「此句詠様奇特也。鞍馬尤人々の云伝て、僧正が谷抔打ものに便る事也。石の戸樋などいふに鍛冶、近頃遠く思ひ寄たる、珍重也。浄き地、清き水をゑらみ、名剣を打べきとおもひしより、一句感情不少。三代といふて猶粉骨鍛冶名人といはん為なり。」
無季。「鍛冶」は人倫。

 永禄は金(こがね)乏しく松の風  仙花
『初懐紙評注』には、「永禄は其時代を云はんため也。鍛冶名人多くは貧なるもの也。仍て金乏しといへる也。前句の噂のやうにて、一句しかも明らかに聞え侍る。是等よく心を付翫味すべし。」
無季。「松」は植物、木類。
永禄=戦国時代のさなかで、川中島の戦い、桶狭間の戦い、永禄の変などが起きている。刀鍛冶から合戦、永禄の頃という連想で展開している。

   近江の田植美濃に耻(はづ)らん 朱絃
『初懐紙評注』には、「只上代の体の句也。金乏しきといふより昔をいふ句也。昔は物毎簡略にて、金も乏しき事人々云伝へ侍る。美濃近江は都近き所にて、田植えなどの風流も、遠き夷とはちがふ成べし。」
季語は「田植」で夏。

 とく起て聞(きき)勝(カチ)にせん時鳥 芳重
『初懐紙評注』には、「時節を云合せたる句也。美濃近江と二所いふにて、郭公をあらそふ心持有て、とく起て聞勝にせんとは申侍る也。」
季語は「時鳥」で夏、鳥類。

   船に茶の湯の浦あはれ也   其角
『初懐紙評注』には、「時鳥、水辺川浦などにいふ事勿論也。船中にて茶の湯などしたる風流奇特也。思ひがけぬ所にて茶の湯出す。茶道の好士也。思ひよらぬ物を前句に思ひ寄たる、又俳諧の逸士也。」
無季。「船」「浦」は水辺。

二裏
 つくしまで人の娘をめしつれて  李下
『初懐紙評注』には、「此句趣向句作付所各具足せり。舟中に風流人の娘など盗て、茶の湯などさせたる作意、恋に新し。感味すべし。松浦が御息女をうばひ、或は飛鳥井の君などを盗取がる心ばへも、おのづからつくし人の粧ひに便りて、余情かぎりなし。」
無季。「人の娘」は人倫。

   弥勒の堂におもひうちふし  枳風
『初懐紙評注』には、「此句、尤やり句にて侍れども、辺土の哀をよく云捨たり。句々段々其理つまりたる時を見て、一句宜しく付捨らる逸句不労。」
無季。恋。釈教。

 待(まつ)かひの鐘は墜(オチ)たる草の上 はせを
『初懐紙評注』には、「弥勒の堂といふ時は、観音堂釈迦堂など云様に、参詣繁昌にも聞えず。物淋しき体を心に懸て、鐘の地に落て葎の中に埋れ、龍頭纔に見えたる体、見る心地せらる。五文字にて一句の味を付たり。注釈に及ばず。よくよく味ひ聞べし。」
無季。釈教。

   友よぶ蟾(ヒキ)の物うきの声    仙花
『初懐紙評注』には、「友呼蟾 ちか頃珍重に侍る。草むらの体、物すごき有様、前句に云残したる所を能請たり。うき声といふにて、待便りなき恋をあひしらひたり。」
季語は「蟾」で夏。

 雨さへぞいやしかりける鄙(ひな)ぐもり コ斎
『初懐紙評注』には、「蟾の声といふより田舎の体を云のべたる也。雨と付る事珍しからずといへども、ひなぐもり珍し。しかも秋に云言葉にあらず。古き歌によみ侍る。惣じて句々、折々古歌古詩等の言葉、所々にありといへども、しゐて名句にすがりたるにもあらず侍れば、さのみことごとしく不記。」
無季。「雨」は降物。

   門は魚ほす磯ぎはの寺    挙白
『初懐紙評注』には、「鄙の体あらは也。濱寺などの門前に、魚干網など打かけたる体多し。曇と云に干スと附たる、都て、作者の器量おもひよるべし。」
無季。釈教。「磯ぎは」は水辺。

 理不尽に物くふ武者等(ら)六七騎  芳重
『初懐紙評注』には、「此句秀逸也。海辺軍乱たる体也。民屋寺中へ押込て狼藉したる有様、乱国のさま誠にかく有べし。世の中おだやかに、安楽の心ばへ、難有思ひ合せて句を見るべし。」
無季。「武者」は人倫。

   あら野の牧の御召(ヲメシ)を撰ミに 其角
『初懐紙評注』には、「前句の勢よく替りたり。野馬とりに出立たる武士の体、尤面白し。三句のはなれ、句の替り様、句の新しき事、よく眼を止むべし。」
無季。

 鵙の一声夕日を月にあらためて  文鱗
『初懐紙評注』には、「段々附やう、文句きびしく続きたる故に、よく云ひなし侍る。かやうの所巧者の心可附義也。夕日さびしき鵙の一声と長嘯のよめるに、西行の柴の戸に入日の影を改めて、とよめる月をとり合せて一句を仕立たる也。長嘯のうたを、本歌に用ゆるにはあらず侍れども、俳諧は童子の語をもよろしきは、借用侍れば、何にても当るを幸に、句の余情に用る事先矩也。」
季語は「月」で秋、夜分、天象。「鵙」は鳥類。「夕日」も天象。

   糺(ただす)の飴屋秋さむきなり 李下
『初懐紙評注』には、「洛外の景気、尤やり句也。月夕日に其地を思ひはかりて見ゆ。」
季語は「秋さむき」で秋。「糺」は名所。

 電(いなづま)の木の間を花のこころせば 挙白
『初懐紙評注』には、「秋といふ字を不捨に付侍る。巧者の(秋以下十五文字一本によりて補ふ)働言語にのべがたし。糺あたりの道すがら森の木の間勿論也。木の間に稲妻尤面白し、真に秋の夜の花ともいふべし。」
季語は「電」で秋。「木の間」は植物、木類。

   つれなきひじり野に笈をとく 枳風
『初懐紙評注』には、「此句の付やう一句又秀逸也。物すごき闇の夜、稲妻ぴかぴかとする時節、聖、野に伏侘る体、ちか頃新し。俳諧の眼是等にとどまり侍らん。」
無季。釈教。旅体。

 人あまた年とる物をかつぎ行(ゆき)   揚水
『初懐紙評注』には、「此句又秀逸也。聖の宿かりかねたる夜を大晦日の夜におもひつけたる也。先珍重。聖は野に侘伏たるに、世にある人は年取物かつぎはこぶ体、近頃骨折也。前句の心を替る所、猶々玩味すべし。」
季語は「年とる物」で冬。「人」は人倫。

   さかもりいさむ金山(かなやま)がはら 朱絃
『初懐紙評注』には、「金山は我朝の大盗也。前句よく請たり。註に不及、附やう明也。」
無季。

三表
 此(この)国の武仙を名ある絵にかかせ  其角
無季。「武仙」は人倫。

   京に汲(くま)する醒井(さめかゐ)の水 コ斎
無季。「醒井」は名所。

 玉川やをのをの六ツの所みて   芭蕉
無季。「玉川」は名所、水辺。

   江湖(かうこ)江湖に年よりにけり   仙花
無季。「江湖」は水辺。

 卯花(うのはな)の皆精(シラゲ)にもよめるかな 芳重
季語は「卯の花」は夏、植物、木類。

   竹うごかせば雀かたよる   揚水
無季。「竹」は植物、木類での草類でもない。「雀」は鳥類。

 南むく葛屋の畑の霜消(きえ)て   不卜
季語は「霜」で冬、降物。

   親と碁をうつ昼のつれづれ  文鱗
無季。「親」は人倫。

 餅作る奈良の広葉を打合セ    枳風
無季。「奈良」は植物、木類。

   贅(ニエ)に買(かは)るる秋の心は はせを
季語は「秋」で秋。

 鹿の音を物いはぬ人も聞つらめ  朱絃
季語は「鹿の音」で秋、獣類。「人」は人倫。

   にくき男の鼾(いびき)すむ月  不卜
季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「にくき男」は人倫。

 苫(とま)の雨袂七里をぬらす覧(らん) 李下
無季。恋。「袂」は衣裳。「苫の雨」は降物。

   生駒河内の冬の川づら    揚水
季語は「冬」で冬。「生駒」は名所。「川づら」は水辺。

三裏
 水(みづ)車米つく音はあらしにて 其角
無季。「水車」は水辺。

   梅はさかりの院(ゐん)々を閉(とづ) 千春
季語は「梅」で春、植物、木類。

 二月(きさらぎ)の蓬莱人もすさめずや  コ斎
季語は「二月」で春。「人」は人倫。
蓬莱山=東の海にある神仙郷で、正月には米を山のように盛り、裏白やユズリハや乾物などを乗せた掛蓬莱を飾った。

   姉待(まつ)牛のおそき日の影    芳重
季語は「おそき日」で春。「姉」は人倫。「牛」は獣類。

 胸あはぬ越の縮(チヂミ)をおりかねて  芭蕉
無季。恋。
「越後縮(えちごちぢみ)」=「現在では新潟県南魚沼市、小千谷市を中心に生産される、平織の麻織物。古くは魚沼から頚城、古志の地域で広く作られていた。縮織のものは小千谷縮、越後縮と言う。」

   おもひあらはに菅(すげ)の刈さし  枳風
季語は「菅の刈」で夏、植物、草類。恋。

 菱のはをしがらみふせてたかべ嶋 文鱗
季語は「菱」で夏、植物、草類。「たかべ」は鳥類。
「たかべ(高部)」=「動物。ガンカモ科の鳥。コガモの別称」

   木魚きこゆる山陰(かげ)にしも   李下
無季。釈教。「山陰」は山類。

 囚(メシウド)をやがて休むる朝月夜   コ斎
季語は「朝月夜」は秋、天象。「囚」は人倫。

   萩さし出す長がつれあひ   不卜
季語は「萩」で秋、植物、草類。「長がつれあひ」は人倫。

 問(とひ)し時露と禿(かむろ)に名を付て 千春
季語は「露」で秋、降物。

   心なからん世は蝉のから   朱絃
季語は「蝉のから」で夏、虫類。

 三度(みたび)ふむよし野の桜芳野山 仙化
季語は「桜」で春、植物、木類。「吉野」は名所、山類。

   あるじは春か草の崩れ屋(や)  李下
季語は「春」で春。「草」は植物、草類。

名表
 傾城を忘れぬきのふけふことし  文鱗
無季。恋。

   経よみ習ふ声のうつくし   芳重
無季。釈教。

 竹深き笋(たかうな)折に駕籠かりて 挙白
季語は「笋」で夏で植物、木類でも草類でもない。

   梅まだ苦キ匂ひなりけり   コ斎
季語は「梅(の実)」で夏で植物、木類。

 村雨に石の灯(ともしび)ふき消ぬ 峡水
無季。「村雨」は降物。「石の灯」は夜分。

   鮑(あはび)とる夜の沖も静に 仙化
無季。「鮑」「沖」は水辺。「夜」は夜分。

 伊勢を乗ル月に朝日の有がたき  不卜
季語は「月」で秋、天象。「朝日」も天象。「伊勢」は名所、水辺。

   欅よりきて橋造る秋     李下
季語は「秋」で秋。「橋」は水辺。

 信長の治(おさま)れる代や聞ゆらん 揚水
無季。

   居士(こじ)とよばるるから国の児(ちご) 文鱗
無季。「児」は人倫。

 紅(くれなゐ)に牡丹十里の香を分(わけて  千春
季語は「牡丹」で夏で植物、草類。

   雲すむ谷に出る湯をきく   峡水
無季。「雲」は聳物。「谷」は山類。

 岩ねふみ重き地蔵を荷ひ捨(すて)  其角
無季。釈教。「岩ね」は山類。

   笑へや三井の若法師ども   コ斎
無季。釈教。「三井」は名所。

名裏
 逢ぬ恋よしなきやつに返歌して  仙化
無季。恋。

   管弦をさます宵は泣(なか)るる   芳重
無季。恋。

 足引の廬山(ろざん)に泊るさびしさよ  揚水
無季。「廬山」は山類、名所。
「廬山」=白楽天が廬山尋陽で作詞した『琵琶行』を本説としている。

   千声(ちごゑ)となふる観音の御名(みな) 其角
無季。釈教。

 舟いくつ涼みながらの川伝い   枳風
季語は「涼み」で夏。「舟」「川伝い」は水辺。

   をなごにまじる松の白鷺   峡水
無季。「をなご」は人倫。「松」は植物、木類。「白鷺」は鳥類。

 寝筵(むしろ)の七府(ななふ)に契る花匂へ  不卜
季語は「花」で春で植物、木類。恋。
「七府」=『夫木抄』の、「みちのくの十符の菅薦七符には/君を寝させて三符に我が寝む/             よみ人知らず」本歌とする。

   連衆くははる春ぞ久しき   挙白
季語は「春」で春。「連衆」は人倫。

参考;『校本芭蕉全集』第三巻(小宮豐隆監修、1963、角川書店)
(この百韻の前半五十句目までは芭蕉自身による『初懐紙評注』という評語が残っている。)
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『蛙合(仙化編)』(二十番句合) [江戸の俳諧]

『蛙合』『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』(大内初夫、櫻井武次郎、雲英末雄校注、一九九四、岩波書店)

https://suzuroyasyoko.jimdofree.com/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%96%A2%E4%BF%82/%E8%9B%99%E5%90%88-%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80/

【 『蛙合』は貞享三年(一六八六)の春、深川芭蕉庵に芭蕉、素堂、孤屋、去来、嵐雪、杉風、曾良、其角らが会して二十番の蛙の句合を行い、その衆議判を仙化が書き留めたもの。その目的は「句合という趣向を借りて全二十組、すなわち四十句によって、和歌伝統の美学を脱した蛙の実相を活写する試み」(「古池の風景」谷地快一『東洋通信二〇〇九・一二』所収)であった。和歌伝統の代表作は「かはづ鳴く井出の山吹散りにけり花のさかりにあはましものを」(不知・古今・春)。
 芭蕉の高弟其角は句合の時、「古池や」ではなく「山吹や」を上五に提案したが採用されなかった。その其角の、発句「古池や」に付けた脇句が、寛政十一年(一七九九)に尾張の暁台が編んだ『幽蘭集』(芭蕉連句集)に収載されている。
   古池やかはづ飛こむ水の音    はせを
     芦のわか葉にかゝる蜘の巣   其角
 「なべて同条件のもとで発句に詠まれていないものを付けて、発句の世界の焦点を絞り、より具体的にして余情豊かな効果を導き出すのが脇句の役所である」(『連句辞典』)が、発句と同時同場の春景がそっと添えられている。飛び込む蛙と蜘蛛の巣の相対付(あいたいづけ)けにおかしみも感じる

http://www.basho.jp/ronbun/ronbun_2013_10_01/08.html   】

「一番
   左
 古池や蛙飛こむ水のおと      芭蕉
   右
 いたいけに蛙つくばふ浮葉哉    仙化
   此ふたかはづを何となく設たるに、四となり
   六と成て一巻にみちぬ。かみにたち下におく
   の品、をのをのあらそふ事なかるべし。」

「第二番
   左勝
 雨の蛙声(コハ)高(だか)になるも哀也 素堂
   右
 泥亀と門(かど)をならぶる蛙哉     文鱗
   小田の蛙の夕ぐれの声とよみけるに、雨のか
   はづも声高也。右、淤泥の中に身をよごして、
   不才の才を楽しみ侍る亀の隣のかはづならん。
   門を並ぶると云たる、尤手ききのしはざな
   れども、左の蛙の声高に驚れ侍る。」

「第三番
   左勝
 きろきろと我頬(ツラ)守る蛙哉  嵐蘭
   右
 人あしを聞(きき)しり顔の蛙哉  孤屋
   左、中の七文字の強きを以て、五文字置得て
   妙なり。かなと留りたる句々多き中にも、此
   句にかぎりて哉といはずして、いづれの文字
   をかおかん。誠にきびしく云下したる、鬼
   拉一体、これらの句にや侍らん。右、足
   音をとがめて、しばし鳴やみたる、面白く侍
   りけれ共、左の方勝れて聞侍り。」

「第四番
   左持
 木のもとの氈(せん)に敷(しか)るる蛙哉 翠紅
   右
 妻負(おふ)て草にかくるる蛙哉      濁子
   飛かふ蛙、芝生の露を頼むだにはかなく、花
   みる人の心なきさま得てしれることにや。つ
   まおふかはづ草がくれして、いか成人にかさ
   がされつらんとおかし、持。」

「第五番
   左
 蓑うりが去年(こぞ)より見たる蛙かな   李下
   右勝
 一畦(あぜ)はしばし鳴やむ蛙哉      去来
   左の句、去年より見たる水鶏かなと申さまほ
   し。早苗の比の雨をたのみて、蓑うりの風情
   猶たくみにや侍るべき。右、田畦をへだつる
   作意濃也。閣々蛙声などいふ句もたより
   あるにや。長是群蛙苦相混、有時也作
   不平鳴といふ句を得て以て力とし、勝。」

「第六番
   左持
 鈴たえてかはづに休む駅(ムマヤ)哉  友五
   右
 足ありと牛にふまれぬ蛙哉       琪樹
   春の夜のみじかき程、鈴のたへまの蛙、心に
   こりて物うきねざめならんと感太し。右、
   かたつぶり角ありとても身をなたのみそとよ
   めるを、やさしく云叶へられたり。野径のか
   はづ眼前也、可為持。」

「第七番
   左
 僧いづく入相のかはづ亦淋し     朱絃
   右勝
 ほそ道やいづれの草に入(いる)蛙  紅林
   雨の後の入相を聞て僧寺にかへるけしき、さ
   ながらに寂しく聞え侍れども、何れの草に入
   かはづ、と心とめたる玉鉾の右を以て、左の
   方には心よせがたし。」

「第八番
   左
 夕影や筑(つく)ばに雲をよぶ蛙  芳重
   右勝
 曙の念仏はじむるかはづ哉     扇雪
   左、田ごとのかはづ、つくば山にかけて雨を
   乞ふ夕べ、句がら大きに気色さもあるべし。
   右、思ひたへたる暁を、せめて念仏はじむる
   草庵の中、尤殊勝にこそ。」

「第九番
   左勝
 夕月夜畦に身を干す蛙哉       琴風
   右
 飛(とぷ)かはづ猫や追行小野の奥  水友
   身をほす蛙、夕月夜よく叶ひ侍り。右のかは
   づは、当時付句などに云ふれたるにや。小の
   のおく取合侍れど、是また求め過たる名所と
   や申さん。閑寥の地をさしていひ出すは、一
   句たよりなかるべきか。ただに江案の強弱を
   とらば、左かちぬべし。」

「第十番
   左
 あまだれの音も煩らふ蛙哉      徒南
   右勝
 哀にも蝌(かへるご)つたふ筧かな  枳風
   半檐疎雨作愁媒鳴蛙以与幽人語、な
   どとも聞得たらましかば、よき荷担なるべけ
   れども、一句ふところせばく、言葉かなはず
   思はれ侍り。かへる子五文字よりの云流し、
   慈鎮・西行の口質にならへるか。体かしこけ
   れば、右、為勝。」

「第十一番
   左
 飛かはづ鷺をうらやむ心哉     全峰
   右勝

 藻がくれに浮世を覗く蛙哉     流水
   鷺来つて幽池にたてり。蛙問て曰、一足独挙、
   静にして寒葦に睡る。公、楽しい哉。鷺答へ
   て曰、予人に向つて潔白にほこる事を要せず。
   只魚をうらやむ心有、と。此争ひや、身閑に
   意くるしむ人を云か。藻がくれの蛙は志シ高
   遠にはせていはずこたへずといへども、見解
   おさおさまさり侍べし。」

 「第十二番
   左持
 よしなしやさでの芥とゆく蛙    嵐雪
   右
 竹の奥蛙やしなふよしありや    破笠
   左右よしありや、よしなしや。」

「第十三番
   左持
 ゆらゆらと蛙ゆらるる柳哉     北鯤
   右
手をかけて柳にのぼる蛙哉     コ斎
   二タ木の柳なびきあひて、緑の色もわきがた
   きに、先一木の蛙は、花の枝末に手をかけて、
   とよめる歌のこと葉をわづかにとりて、遙な
   る木末にのぞみ、既のぼらんとしていまだの
   ぼらざるけしき、しほらしく哀なるに、左の
   蛙は樹上にのぼり得て、ゆらゆらと風にうご
   きて落ぬべきおもひ、玉篠の霰・萩のうへの
   露ともいはむ。左右しゐてわかたんには、数
   奇により好むに随ひて、けぢめあるまじきに
   もあらず侍れども、一巻のかざり、古今の姿、
   只そのままに筆をさしおきて、後みん人の心
   心にわかち侍れかし。」

「第十四番
   左持
 手をひろげ水に浮(うき)ねの蛙哉  ちり
   右
 露もなき昼の蓬に鳴(なく)かはづ  山店
   うき寐の蛙、流に枕して孫楚が弁のあやまり
   を正すか。よもぎがもとのかはづの心、句も
   又むねせばく侍り。左右ともに勝負ことはり
   がたし。」

「第十五番
   左
 蓑捨(すて)し雫にやどる蛙哉   橘襄
   右勝
 若芦にかはづ折(をり)ふす流哉  蕉雫
   左、事可然体にきこゆ。雫ほすみのに宿か
   ると侍らば、ゆゆしき姿なるべきにや。捨る
   といふ字心弱く侍らん。右、流れに添てす
   だく蛙、言葉たをやか也。可為勝か。」

「第十六番
   左
 這(はひ)出て草に背をする蛙哉      挙白
   右勝
 萍(うきくさ)に我子とあそぶ蛙哉     かしく
   草に背をする蛙、そのけしきなきにはあらざ
   れども、我子とあそぶ父母のかはづ、魚にあ
   らずして其楽をしるか。雛鳧は母にそふて
   睡り、乳燕哺烏その楽しみをみる所なり。風
   流の外に見る処実あり、尤勝たるべし。」

「第十七番
   左勝
 ちる花をかつぎ上たる蛙哉     宗派
   右
 朝草や馬につけたる蛙哉      嵐竹
   飛花を追ふ池上のかはづ、閑人の見るに叶へ
   るもの歟。朝草に刈こめられて行衛しられぬ
   蛙、幾行の鳴をかよすらん、又捨がたし。」

「第十八番
   左持
 山井(やまのゐ)や墨のたもとに汲(くむ)蛙 杉風
   右
 尾は落(おち)てまだ鳴(なき)あへぬ蛙哉  蚊足
   山の井の蛙、墨のたもとにくまれたる心こと
   ば、幽玄にして哀ふかし。水汲僧のすがた、
   山井のありさま、岩などのたたずまひも冷じ
   からず。花もなき藤のちいさきが、松にかか
   りて清水のうへにさしおほひたらんなどと、
   さながら見る心地せらるるぞ、詞の外に心あ
   ふれたる所ならん。右、日影あたたかに、小
   田の水ぬるく、芹・なづなやうの草も立のび
   て、蝶なんど飛かふあたり、かへる子のやや
   大きになりたるけしき、時に叶ひたらん風俗
   を以、為持。」

「第十九番
   左勝
 堀を出て人待(まち)くらす蛙哉   卜宅
   右
 釣(つり)得てもおもしろからぬ蛙哉 峡水
   此番は判者・執筆ともに遅日を倦で、我を忘
   るるにひとし。仍而以判詞不審。左かち
   ぬべし。」

「第二十番
   左
 うき時は蟇(ヒキ)の遠音も雨夜哉  そら
   右
 ここかしこ蛙鳴ク江(え)の星の数  キ角
   うき時はと云出して、蟾の遠ねをわづらふ草
   の庵の夜の雨に、涙を添て哀ふかし。わづか
   の文字をつんでかぎりなき情を尽す、此道の
   妙也。右は、まだきさらぎの廿日余リ、月な
   き江の辺リ風いまだ寒く、星の影ひかひかと
   して、声々に蛙の鳴出たる、艶なるやうにて
   物すごし。青草池塘処々蛙、約あつてきた
   らず、半夜を過と云ける夜の気色も其儘にて、
   看ル所おもふ所、九重の塔の上に亦一双加へ
   たるならんかし。」

「追加
    鹿島に詣侍る比(ころ)真間の継はしニて
 継橋(つぎはし)の案内顔(かほ)也飛(とぶ)蛙 不卜」

 頃日(けいじつ)会/深川芭蕉庵而/群蛙(ぐんあ)鳴句以※衆議判(しゅうぎはん)而/
馳禿筆(とくひつ)青蟾(せいせん)堂仙化(せんか)子撰(えらぶ)焉乎
  貞享三丙寅歳閏三月日  新革屋町 西村梅風軒

※衆議判(しゅうぎはん)
① 合議で優劣、善し悪し、採否などを決めること。
※浮世草子・好色敗毒散(1703)三「まづ今日は初会の事なれば、女郎の物好き重ねて、衆議判(シュギハン)にて極むべし」
② 歌合で、参加した左右の方人(かたうど)が、互いにその歌の優劣を判定すること。また、その方法。
※源家長日記(1216‐21頃)「此御歌合和歌所にて衆儀はん也しに、この歌をよみあけたるを、たひたひ詠せさせ給、よろしくよめるよしの御気色なり」
(「精選版 日本国語大辞典」)

http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0002-001204

『蛙合(仙化編)).jpg

『蛙合(仙化編))(「東京大学付属図書館」蔵) 3/21(コマ)

(追記)
 『蛙合(仙化編)』が成った「貞享三年(一六八六)」、芭蕉、四十三歳の時であった。この蛙を主題とする「二十番句合」(二句ずつ合わせて四十句、プラス、追加一句の四十一句)は、それぞれ判詞を添え、「仙化をはじめとして素堂・其角・嵐雪・杉風・去来・嵐蘭・素堂・文鱗・弧屋・濁子・破笠」等々と錚々たる連衆である。
 仙化の「跋」によると「衆議判」ということであるが、これだけの連衆が一堂に会しての「衆議判」というのは破天荒のことで、実際に芭蕉庵に会した連衆は、「庵主芭蕉・友人素堂・板下を書いた其角・編者仙化などが、さしずめ当日の出席者であろうか」(『元禄俳諧集・岩波書店』)と、全くの連衆全員による「衆議判」ではないと解すべきなのであろう。
 また、芭蕉の句の「古池や蛙飛びこむ水のおと」も、この『蛙合』の貞享三年(一六八六)時の作ではなく、それより以前の、天和二年(一六八二)、芭蕉、三十九歳時の作と解するのが(『芭蕉集(全))・古典俳文学大系五』)、『蛙合(仙化編)』と同年次に成った『春の日(荷兮編)』収載とも関連し妥当のように思われる。

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