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北斎(その二十) [北斎]

(その二十)Breaking Waves (波濤図)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)
波濤図一.jpg

Breaking Waves →「波濤図」(署名=八十八老人卍筆 印章=葛しか)
Type Hanging scroll  → 一幅
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1847 → 弘化四年
Medium  Ink and color on silk  → 絹本着色
Dimension(s) H x W (image): 126 × 46.7 cm (49 5/8 × 18 3/8 in)

留書き
落款に「八十八老人卍筆」と記す「渡船山水図と同期作。「神奈川沖浪裏」や上町祭屋台天井画「濤図」と同じ鍵爪状の波濤が岩に押し寄せる。奥へと形態を変えて続く波は青空へと続き画面に不思議な静けさが漂う。
(『別冊太陽 北斎 生誕二五〇年記念 決定版』所収「作品解説(高杉志緒稿)」)

渡船山水図.jpg

北斎「渡船山水図」紙本着色一幅 署名「八十八老卍筆」 印章「百」 弘化四年(一八四七) 一二七・〇×五三・五cm 北斎館蔵
落款に「八十八老人卍筆」と記された北斎数え年八十八歳の頃の作品と窺える。水上に突き出た崖上の桜から、雪のような花びらが二艘の船上に降っている。遠景に浮かび下界を見下ろす青山が幻想的な雰囲気を醸し出している。
(『別冊太陽 北斎 生誕二五〇年記念 決定版』所収「作品解説(高杉志緒稿)」)

 天保十五年(一八四四)、八十五歳にして小布施(長野県)に行き、東町祭屋台天井画の「龍図」「鳳凰図」を、翌年にまた小布施で、次の上町祭屋台天井画の二面の「濤(なみ)図」を制作した。

濤図.jpg

北斎「濤図」二面 上町祭屋台天井画 桐板着色二面 各一一八・〇×一一八・五cm
弘化二年(一八四五) 北斎館

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北斎(その十九) [北斎]

(その十九)An old woman sitting on two overturned grave-posts(新年を寿ぐ大黒と恵比寿)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

大黒と恵比寿.jpg

Daikoku and Ebisu as New Year's performers
Type Fan (mounted as album leaf)
Maker(s) Artist: Hishikawa Sōri 菱川宗理
Historical period(s) Edo period, 1615-1868
Medium Ink and color on paper
Dimension(s) H x W (overall): 22.2 x 46.1 cm (8 3/4 x 18 1/8 in)

(留書き)
「菱川宗理」は、「北斎」ではなく、北斎の門人で、北斎から「宗理」の号を譲り受けたといわれている。

wiki

葛飾北斎の門人。姓名不詳だが『浮世絵師伝』によれば諱は「完知」と称したという。画姓に菱川および俵屋を称し、巣雲斎、百琳、李明、完山と号す。初めは琳斎宗二(りんさいそうじ)と称した。江戸馬喰町に住む。北斎は寛政7年(1795年)から寛政10年(1798年)のあいだに画号を宗理と称しており、宗二は寛政10年中に北斎から宗理の名を譲り受けたといわれる。

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北斎(その十八) [北斎]

(その十八)An old woman sitting on two overturned grave-posts(倒れた二基の塔婆と座す老女)
フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

老婆.jpg

An old woman sitting on two overturned grave-posts → 倒れた二基の塔婆と座す老女
Type Fan (mounted as album leaf)
Maker(s) Artist: Tawaraya Sori III (fl. ca. late 18th - early 19th → 寛政六年(一七九四、三十五歳)の頃、「勝川春朗」の号を廃して「俵屋宗理」を襲名した「北斎」の号の一つ。
Historical period(s) Edo period, 1615-1868
Medium Ink and color on paper
Dimension(s) H x W (overall): 22.6 x 46.2 cm (8 7/8 x 18 3/16 in)


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北斎(その十七) [北斎]

(その十七)Sarayashiki(「百物語・皿屋敷)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

皿屋敷.jpg

Sarayashiki (The House of Broken Plates), from the series "One Hundred Ghost Tales"
Type Woodblock print
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1831-1832
Medium Woodblock print; color on paper
Dimension(s) H x W (overall): 25.4 x 18.3 cm (10 x 7 3/16 in)


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北斎(その十六) [北斎]

(その十六)"A Spirit from the Hyaku Monogatari"(「百物語・笑ひはんにゃ」下絵)
フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

笑い般若下絵.jpg

"A Spirit from the Hyaku Monogatari"
Type Album leaf
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1760-1849
Medium Ink on paper
Dimension(s) H x W: 49.8 x 73 cm (19 5/8 x 28 3/4 in)

(留書き)
「百物語 笑ひはんにゃ」の「下絵」→ 「般若」は仏の智慧という意味もあるが、能面「般若」のイメージである。「円窓から顔を出した般若が流血した子供の生首を掴んでいる。他人の子供を食べ続けた鬼子母神のイメージも有している。」
「子供の生首」を欄外に再掲して、色表示の指定をしている(他にも色表示の指定をしている)。

笑い般若.jpg

中判錦絵 東京国立博物館蔵

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北斎(その十五) [北斎]

(その十五)Skecth for a woodblock print(「晩年の北斎自画像」下絵)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

下絵.jpg

Skecth for a woodblock print
Type Album leaf
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1760-1849
Medium Ink on paper
Dimension(s) H x W: 59 x 25.1 cm (23 1/4 x 9 7/8 in)

(留書き)
 これは、前回(「晩年の北斎自画像」)の「Skecth for a woodblock print」(木版画のための下絵)なのであろう。「顔」と「両手」は、紙を貼って修正しているのが分かる。

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北斎(その十四) [北斎]

(その十四)Hokusai as an old man(晩年の北斎自画像)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

北斎自画像.jpg

Hokusai as an old man
Type Album leaf
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1760-1849
Medium Woodblock print: ink on paper
Dimension(s) H x W: 54 x 25.5 cm (21 1/4 x 10 1/16 in)
(留書き)
署名に、「明治三十三年八月製 小林文七蔵板」とあり、旧蔵者「小林文七」の蔵版から制作したという署名なのであろう。そして、フリーア美術館の「北斎」ものの大半が、旧蔵者は、「小林文七」のもので、小林文七については、次のアドレスに詳しい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/小林文七

文久元年、浅草亀岡町に大富豪の家に生まれる。林忠正の店で使用人を務めた後、明治10年(1877年)頃、吉田金兵衛が顧問格となって錦絵などを並べて販売する浮世絵商となり、浅草駒形町に蓬枢閣という店を開いた。文七は明治25年(1892年)11月12、13日に日本で初めての浮世絵の展覧会を開催、林忠正の序文による展覧目録が作成されている。会場は上野三橋松源楼で、出陳数は肉筆画が119点、版物といわれた浮世絵版画が33点及び古代錦絵集掛物が1点の合計133点が出品されており、展覧のみのものであった。この目録には各出陳者の名前が挙げられ、この時期の肉筆浮世絵の主要な収集家の名前を知ることができる。そのなかには益田孝、若井兼三郎、林暁雪、執行弘道、林忠正、平川健吉、本間耕曹、別府金七、牟田良七らがいた。翌明治26年(1893年)9月、飯島虚心の『葛飾北斎伝』2冊及び『浮世絵師便覧』を出版する。その後、明治30年(1897年)1月、上野美術協会において浮世絵歴史展覧会を開催、明治31年(1898年)にも上野において浮世絵展覧会を開催している。版画、肉筆あわせて計241点の作品が展示されており、この折にも小林自身が目録を作成、重野安繹が序文を書き、アーネスト・フェノロサが本文解説を執筆している。このときは展覧のみが目的ではなく展示即売を期しての開催であった。また、明治33年(1900年)1月13日から30日の間、美術協会で北斎展を開催、英文によるカタログが作成されており、図版中の何点かはフリーア美術館の所蔵となっているため、全点ではないかもしれないがほぼ即売されたと見られる。同年ヘレン・ハイドの木版画「日本の聖母(マドンナ)」を制作、出版したほか、9月25日から欧米に旅行している。明治35年(1902年)には蓬枢閣横浜支店を本町3丁目に開設、主に外国人を相手に錦絵などを販売している。さらに自らアメリカ合衆国へ赴き、サンフランシスコ支店を開設するが、こちらはすぐに大不況が来て閉店している。明治36年(1903年)9月1日にも海外へ旅行したほか、明治39年(1906年)9月11日には戸川秋骨とともに旅立ち、翌明治40年(1907年)1月23日に帰国、さらに同年11月27日、上田敏とともに出発、翌年の10月に帰国したと見られる。
大正7年(1918年)4月、自宅にて慶長前後の版画陳列会を図書館協会の主催で開催した後、大正9年(1920年)4月27日には慶應義塾図書館にて自らの所蔵品による浮世絵展を、大正11年(1922年)12月2日、同様に自らの所蔵品により国民学会浮世絵展を国民新聞社別館にて行っている。大正12年(1923年)3月8日、胃癌で死去した。享年63。
小林の没後、9月1日に関東大震災が起こったため、所蔵していた浮世絵版画数10万点及び東洲斎写楽の版下絵など肉筆浮世絵約2000点を焼失したといわれる。

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北斎(その十三) [北斎]

(その十三)Three figures reading(読書三態)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

読書三態.jpg

Three figures reading
Type Album leaf
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1760-1849
Medium Ink on paper
Dimension(s) H x W: 73 x 49.9 cm (28 3/4 x 19 5/8 in)

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北斎(その十二) [北斎]

(その十二)Hotei and Chinese Child Acrobats(布袋と唐子の曲芸)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

布袋と唐子.jpg

Hotei and Chinese Child Acrobats
Type Album leaf
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, ca. 1840s
Medium Ink on paper
Dimension(s) H x W (overall): 35.8 x 26.8 cm (14 1/8 x 10 9/16 in)

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北斎(その十一) [北斎]

(その十一)The Six Master Poets(「六歌仙」)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)

六歌仙.jpg

The Six Master Poets
Type Album leaf
Maker(s) Artist: Katsushika Hokusai 葛飾北斎 (1760 - 1849)
Historical period(s) Edo period, 1760-1849
Medium Ink on paper
Dimension(s) H x W: 33.2 x 69.3 cm (13 1/16 x 27 5/16 in)

(留書き)

『古今和歌集』の序文に記された六人の代表的な歌人のこと。僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の六人を指す。

…そのほかに、ちかき世に、その名きこえたる人は、すなはち僧正遍昭は、哥(歌)のさまはえたれども、まことすくなし。たとへば、ゑ(絵)にかけるをうな(女)を見て、いたづらに心をうごかすがごとし。
ありはらのなりひらは、その心あまりて、ことばたらず。しぼめる花のいろなくて、にほひのこれるがごとし。
ふんやのやすひでは、ことばはたくみにて、そのさま身におはず(負はず)。いはば、あき人(商人)のよききぬきたらん(着たらん)がごとし。
宇治山の僧きせんは、ことばかすかにして、はじめをはり(始め終り)、たしかならず。いはば、秋の月をみるに、あかつきの雲にあへるがごとし。よめるうた、おほくきこえねば、かれこれをかよはして、よくしらず。
をののこまちは、いにしへのそとほりひめ(衣通姫)の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よきをうなの、なやめるところあるににたり。つよからぬは、をうなのうたなればなるべし。
大伴のくろぬしは、そのさまいやし。いはば、たきぎおへる山人の、花のかげにやすめるがごとし。
このほかの人々、その名きこゆる、野辺におふるかづらの、はひひろごり、はやしにしげき、このはのごとくに、おほかれど、うたとのみおもひて、そのさましらぬなるべし。
— 『古今和歌集』仮名序

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