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狂画の鬼才「河鍋暁斎」(その二十) [河鍋暁斎]

(その二十)「風俗鳥獣画帖」(その裏二 お多福)

お多福.jpg

「風俗鳥獣画帖」(その十三(裏二)お多福)絹本着色 (各一九・一×一四・六cm)
『特別展覧会 没後一二〇年記念 絵画の冒険者 暁斎 近代へ架ける橋(京都国立博物館)』所収「作品解説9」

 「お多福」も、暁斎の好みの画題であった。様々な「お多福」図があるが、上記のものは、「お多福と鬼」の取り合わせもので、鬼が、お多福のお誘いに、蓑笠で姿を隠すようにして怖気づいているような図柄である。
 お多福は、「福助」と「お多福」との対になると、縁起物の「吉祥画」になるが、ここでは、「男に敬遠される醜女(しこめ)」を意味しているのであろう。
 前図(「達磨の耳かき」)との関連で行くと、「志操堅固の達磨すら、美人に耳かきをされると、フニャフニャになる」が、「お多福のような醜女が、お出で、お出でをすると、醜男の鬼すら、クワバラクワバラと逃げ惑う」ということになる。

 この暁斎の「醜女」の「お多福図」の最高傑作画とされているのが、次のものである。
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暁斎筆「お多福図」一幅 明治八年(一八七五) 一〇〇×二七・五cm
福富太郎コレクション資料室蔵

「暁斎四十五歳のときの作。いわゆる醜女(しこめ)の代名詞であるお多福を描いたものとして、尾形光琳のそれ以来の傑作というをはばからない。左褄(ひだりづま)をとるものの、足袋を履いているから花街(かがい)の女でないのは確か。小袖の文様の精緻な描写にも注目すべきで、暁斎画の真骨頂はこんなところにもうかがえる。」
(『もっと知りたい 河鍋暁斎(狩野博幸著)』)


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(その十九)「風俗鳥獣画帖」(その裏一 達磨の耳かき)

達磨の耳かき.jpg

「風俗鳥獣画帖」(その十二(裏一)達磨の耳かき)絹本着色 (各一九・一×一四・六cm)
『特別展覧会 没後一二〇年記念 絵画の冒険者 暁斎 近代へ架ける橋(京都国立博物館)』所収「作品解説9」

 これは、「風俗鳥獣画帖」の十二図目に当たるのだが、これまでの「表面」ではなく、ここからは、「裏面」の「その一図」ということになる。「表面」と「裏面」との、これまた、「俳諧用語」ですると、「表」と「裏」、「表」の世界が、「俳諧式目(ルール)」に従って展開されるのに比して、「裏」の世界は、臨機応変の、言わば、「奇手の応酬」といいうことになる。
 この「奇手の応酬」の一句目は、暁斎得意の「達磨と美人図」である。今回の美人は、喜多川歌麿風の美人であるが、鈴木春信風の美人とか、その時の「場」に応じて。暁斎は、多種多様な「達磨と美人図(又は吉原図)」を描いている。
 そして、これらの暁斎の「達磨と美人図」の源流は、京都画壇の主流を占めた、円山応挙(「円山派」と「円山四条派」の頭目)に対抗する京都画壇の異端の頭目とも言うべき、曽我蕭白(「曽我蛇足十世」を自称)に因っていると解して差し支えなかろう。
 その蕭白は、「画が欲しいなら自分に頼み、絵図が欲しいなら円山主水(応挙)が良いだろう」と語ったとか(『近世名家書画談(安西雲煙著)』)、この言ですると、「風俗鳥獣画帖」の「表・一図~十一図」は、「狩野派・応挙派」の「絵図(本画)」で、この「裏・一図」からは、「蕭白派・暁斎派」の「画(狂画)」ということになる。

http://yahan.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306129451-1


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蕭白筆「群仙図屏風」の「左隻」(部分図・西王母と蝦蟇仙人)

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蕭白筆「達磨図」

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蕭白筆「美人図」



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