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狂画の鬼才「河鍋暁斎」(その十七) [河鍋暁斎]

(その十七)「風俗鳥獣画帖」(その十 敗荷と白鷺)

 この十図「敗荷(やれはす)と白鷺」から、「風俗鳥獣画帖」の「鳥獣画」ということになる。鳥羽僧正の『鳥獣戯画』は、暁斎の「鳥獣戯画」の模範とするものであった。そして、鳥羽僧正の『鳥獣戯画』が、「ウサギ・カエル・サル」などを擬人化して、当時の世相の諷刺を狙っているように、暁斎のそれも、背後に、何らかの寓意や諷刺を潜ませているのが常である。
 そして、暁斎の場合は、動物などを擬人化したものの他に、「絵手本」的な「動物画」そのものもあり、「諷刺画」的な「動物画」なのか、それとも、純然たる「動物画」なのかが、甚だ判然としないものが多い。

敗荷白鷺二.jpg

「風俗鳥獣画帖」(その十 敗荷と白鷺)絹本着色 (各一九・一×一四・六cm)
『特別展覧会 没後一二〇年記念 絵画の冒険者 暁斎 近代へ架ける橋(京都国立博物館)』所収「作品解説9」

 この十図の「敗荷と白鷺」も、一見すると「敗(や)れ荷(はす・はちす)を背景とした白鷺」の「絵手本」的なものという印象が強い。しかし、前図(九図)の「前田犬千代(利長)の奮戦」の、次の図ということになると、この図の背後には、やはり、何らかの寓意や諷刺が込められているものと解したい。
 「前田犬千代(利長)」といえば、当然に、「太閤秀吉」との関係が浮かび上がって来る。
とすると、この「白鷺」は、「白鷺城(しらさぎじょう・はくろじょう)」の別名の「出世城」(羽柴秀吉が居城し、その後の出世の拠点となったことから呼ばれる)を意味するところのものとなって来る。
 そして、この「敗(やれ)荷(はす・はちす)」は、「豊臣家の滅亡」を象徴すものという連想が自然と湧いて来る。これが、「豊臣家」の家紋の「桐」などと絡ませると、これこそ、「享保・寛政・天保の改革など」の「政治・思想統制、綱紀粛正」違反として、処罰の対象となって来るところのものであろう。
 ずばり、この暁斎の「敗荷と白鷺」の図(十図)は、「豊臣家の栄華(白鷺)盛衰(敗荷)」を象徴するものと解したい。

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