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江戸の狂画・奇想画(その一) [腹筋逢夢石]

その一 山東京伝・歌川豊国らの「鶏・蜻蛉・翡翠」

鶏・蜻蛉・翡翠.jpg
『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)・三編』所収「鶏・蜻蛉・翡翠」

 江戸後期の『腹筋逢夢石(山東京伝作・歌川豊国画)』は、黄表紙(大人の絵本)の一種の滑稽本である。この初編の傍題に「鳥獣魚虫類介科口技(トリ・ケダモノ・ウオ・ムシルイ・ミブリ・コワイロ)」とある。
 すなわち、「鳥獣魚虫類」の身振り・物真似をさせながら、彼らの目を通して、人間界を語らせ、滑稽化しようとするのが狙いのようである。
『腹筋逢夢石(ハラスジ・オウムセキ)』の「逢夢石」は、中国清代初期の戯曲作家の李漁(笠翁・李笠翁)の『笠翁伝記』に由来があって、「鸚鵡石(オウムセキ)」の捩りで、本来の意味は、「言葉を反響する石」の名前のようである。
 それが変じて、「歌舞伎役者の声色」の代名詞として用いられるようになったらしい。この「腹筋(ハラスジ)」の意味は不明だが、「腹の虫」(心中の感情を虫に例えてのもの)「筋」(その系統)のような意味に取って置きたい。
 作者は、「山東京伝戯作 歌川豊国戯画」となっているが、この戯画(挿絵)の下絵は山東京伝が克明に描いて、稿本の形で絵師に渡しているから、この戯画(挿絵)は、二人の共作と解した方が良かろう。
 さて、この挿絵の「鶏(ニワトリ)」だが、「傘をこう尻におっぱさむには、豪儀に骨が折れる」との口上があって、「此の傘、後に役に立たぬと覚悟すべし」との付言が施されている。
 この「鶏の傘見立ての尾」は、「しだり尾は柳に似ても若鶏の風にあらそふ さか毛怒り毛(京伝)」の歌(狂歌)が、一番上段の所に書いてある。
 この「鶏の鶏冠」は、「これ坊や、手前の頭巾をおとっさんに一寸のうち貸してくりや」とあり、我が子の頭巾なのである。
 これらの突拍子もない「異常見立ての世界」が、この滑稽本の世界なのである。これは、この「鶏の傘見立ての尾」に因んでの狂歌に対応して、「狂画」とネーミングして差し支えなかろう。
 因みに、「蜻蛉(トンボ)」に関する戯文はないが、目玉を大きく開け、両手を羽に見立てて、飛び上がって様は、これまた「狂画」というネーミングに相応しい。
 この「翡翠(カワセミ)」の嘴は、刀の「柄袋(ツカブクロ)」、額に紐で結び付けているのは「羽箒(ハネホウキ)」で、「此の戸はお持仏さまの戸棚の戸だ。生臭い手で持つまい」と、足で掴んでいるのである。
 ここまで来ると、奇想天外な「駄洒落の駄洒落」の彼方に、人間と人間を取り巻く社会の、その狂気の世界の一端を、ずばりと見せて呉れている。

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